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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > YENTOWNの軌跡(後編)
ラッパー「MONYPETZJNKMN」インタビュー

「共感を誘い込む“ストーナー・ラップ”を作りたい」MONY PETZ JNKMNが激白するYENTOWNの軌跡(後編)

左よりPETZ、MonyHorse、JNKMN(写真:鈴木智弘/以下同)

 YENTOWNが2020年で結成5年目を迎えた。東京を拠点に結成されたこのヒップホップ・コレクティヴは、音楽だけではなく、ファッションをはじめとするさまざまな分野で存在感を示してきた。YENTOWNの軌跡を振り返ることは、特にヒップホップ/クラブ・カルチャーを中心とした、この5年の間にも激しく移り変わった東京=TOKYOの風俗や流行の一端を知ることになるといっても間違いではない。

 そのYENTOWNの看板グループが、MonyHorse、PETZ、JNKMNという3人のラッパーから成るMONYPETZJNKMN(以下、MPJ)だ。昨年から今年にかけて、おのおの1stソロ・アルバムを発表し、今、再び彼らの周りが活気づいてきている。

 ということで、MPJとプロデューサーのU-LEEにYENTOWN結成から現在までを振り返ってもらいつつ、ファンが気になっているであろう、あんなことやこんなことも語ってもらった。前編では、YENTOWNの知られざる成り立ちが明かされたが、後編は次第に“煙たい”話題にもなっていく。

◇ ◇ ◇

MonyHorse『TBOA JOURNEY』 https://linkco.re/MvY7VhsA
PETZ『COSMOS』 https://smarturl.it/PETZ_COSMOS
JNKMN『JNKMN NOW』 https://smarturl.it/PETZ_COSMOS

 

 

「It G Ma」ができた瞬間に立ち会った

――YENTOWNは日本以外のアジアのシーンとリンクするのも早かったですよね。15年12月に台湾で開かれ、主に東アジアのラッパーらが参加したヒップホップのフェス「New Generation Concert(NGN) 新世紀演唱會」に出演しています。また、16年1月には台湾のラッパーたちと作った「Purple Dollar$(紫錢)」をYouTubeにアップ。他方で15年には〈88rising〉が立ち上がるなど、この頃からアジアのヒップホップが世界的にも注目されるようになりました。

MonyHorse(以下、M) 台湾に行ったときは、クラブに20人ぐらいの警察がいきなり乱入してきてビビりましたね。

JNKMN(以下、J) 俺らは焦ったけど、現地の人はビビッてなくて。未成年がいないかどうか年齢確認をするために、警察が来ることがよくあるらしい。

2019年12月に行われたYENTOWNのパーティ「YENJAMIN」より

PETZ(以下、P) 俺はその「NGN」がきっかけで、数年後(18年)にYOUNGGUというタイのラッパーたちと「SHIBUYA」って曲を一緒に作った。

J 俺は「잊지마It G Ma)」(15年)ができた瞬間に立ち会いましたね。LOOTAらと韓国に遊びに行ったときに、〈Hi-Lite Records〉(韓国のヒップホップ・レーベル)にいたOkasianやKeith Apeと「最近、何が流行ってる?」って話になって。で、LOOTAがOG・マコの「U Guessed It」をOkasianに聴かせて、その場で作ったのが「It G Ma」だった。曲ができるまでの経緯を見ていたから、「ここまで世界的にバズるんだ」って感慨深かったっすね。

 

――そもそも、韓国のラッパーやシーンとのつながりは何がきっかけだったんですか?

J JayAllDayですね。あいつとはタメなのもあって、日本にいるときに仲良くなったんです。俺がいろいろアテンドしたりして。それで、Jayが「お前が韓国に来たら、もてなすよ」って言ってくれて、Jayの周りのラッパーを紹介してもらったのが、最初のきっかけですね。Keith ApeはKID ASH名義の頃から知っています。

P でも、JayAllDayと仲良くなる前に、大二君(JNKMN)の家にOkasianが来てるよ。

J そっか。渋谷の円山町に住んでいたとき、OkasianやDOK2が俺の家によく来ていたんですよね。あいつら全然持ってなくて、いろいろ振る舞って遊んでたら、仲良くなった感じっす。

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