安倍総理の思いつき休校要請から見える“国難”と決定的に損なわれてしまったもの
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根拠なき政治判断で奪われたかけがないのないもの
登山家の野口健氏は3月1日、Twitterに次のような投稿をしている。
“総理のお願いに「決断に至った根拠を示せ」との意見も理解できる。しかし、今や戦時中と同等だとみなすべき。細かな検証はコロナが収まった後に、今後の教訓として徹底的にやればいい。今はこの国難の最中において与野党、そして国民が一致団結するべき。痛みを伴いながらも乗りこえるしかない!”(本人のTwitterアカウントより)
「戦時中と同等」とのことだが、実際こういう人が戦時中に大本営発表をうのみにし、反戦的な人を非国民呼ばわりしたんだろうなぁ、とつくづく思う。まあ、芸能人がスキーをしていただけで「不謹慎だ」とばかりに非難がましい記事を掲載するニュースサイトもあったので確かに戦時中とさほど変わらないのかもしれない。
高齢者の新型コロナウイルス対策について「高齢者は歩かないからいい」という斬新な見解を表明した自民党の松川るい議員もまた2月29日、Twitterに次のような投稿をしている。
“国難においては、責任をもって決断し、そして国民にその決断を信じて一致団結するよう鼓舞することがリーダーの役目。私は総理の真摯な言葉を信じる。我々日本人ならウィルスとの戦いに必ず勝てる新たな働き方とICTを駆使し、危機をチャンスに変えましょう。”(本人のTwitterアカウントより)
北朝鮮かよ。あるいは宗教か。いずれにせよ、もはや個人崇拝の域である。
賭けてもいいが、安倍総理を擁護している人たちは、もし菅直人議員が今の総理大臣で今回の安倍総理と同じ対応をしていたら、親の仇とばかりに口汚く批判するはずである。彼らが擁護しているのは科学的な知見やエビデンスによる根拠のある判断ではなく、“安倍総理の決断”という属人的な判断だからだ。もし、「菅直人が同じことをやったとしても私は評価する!」と強弁するのであれば、それは同じく科学的な知見やエビデンスがない限り、根拠なく権力にただ追従する権威主義者ということになるだろう。
専門家の知識や合理的な判断を考慮せず、権力者の思いつきのままに重大な政治的決断が下されていく——いつの間にか日本は中世に逆戻りしてしまったのだろうか。まあ、それは言い過ぎとしても、専門知を軽視して政治パフォーマンスを優先するようであれば、民主主義国家として憂慮すべき事態であることは間違いない。安倍総理を擁護する人は何かにつけて“国難”を持ち出すが、たいした根拠もなく社会を混乱させ、経済にダメージを与え、多くの子どもたちの自由を奪い、悲しませることになる決断をなんとなく支持してしまう“空気”の蔓延こそが“国難”だ。
子供たちの思い出づくりや青春の日々、そして学ぶ機会が損なわれてしまったことを“些細なこと”と片付けてしまう人も多いだろう。恐らく、安倍総理はそんなことに1秒だって思いを寄せたことはないと思う。しかし、他人からはどれだけ些細に見えたとしても、そこで奪われたものは、当人にとってかけがえのない大切なものだったかもしれないのだ。そして、それは二度と取り戻せない。個人のかけがえのない日々を根拠のない思いつきの政治的パフォーマンスで奪い去った決断は、いつか大きなしっぺ返しを喰らうだろう。
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