NHKを辞めた堀潤氏が映し出す分断された世界 一人称単数で語る『わたしは分断を許さない』
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一人称単数で考え、語ることの大切さ
シリアスな内容のドキュメンタリー作品だが、堀潤氏はにこやかな表情でこう語る。
「ヨルダン、パレスチナ、北朝鮮、香港……と、世界各地を取材して回りましたが、どこもNHKの局員では取材できないところばかりでした。パレスチナや香港は安全上の問題から上司は取材のOKを出さなかったと思います。北朝鮮もそうです。ひとりの局員が、国際部を通り越して身軽に取材することはできなかったはず。大きなメディアに属していなかったからこそ、いろいろと取材することができた。NGO活動のスタッフに帯同するという形で取材したものが多かったですね。組織に属していない、フリーな立場だから制作することができたドキュメンタリーなんです」
東日本大震災は、発生からもうすぐ10年目を迎える。堀潤氏は福島第一原発事故によって故郷を離れざるを得なかった人々が起こした「生業訴訟」の様子を、本作の縦軸として追っている。「東京電力」は国が定めた規定に基づいて賠償金の支払いに応じたものの、被災者たちは社会と繋がる接点だった仕事を失ったままだ。福島県富岡町で美容室を営んできた深谷敬子さんは事故以来、ハサミを手にすることができずにいる。長年にわたって培ってきた仕事を失うことで、深谷さんは社会から分断されてしまった。社会から孤立してしまった個人の悲しみを、堀潤氏の手持ちカメラは伝えている。
本作のタイトルは「わたし」と一人称単数の主語で始まる。主語はなるべく小さく、ファクト(事実)を積み重ねていこう、というのが堀潤氏の提唱し、実践している取材スタイルだ。ドキュメンタリー作家である森達也氏が、監督作『i-新聞記者 ドキュメント』(19)で「i=一人称」にこだわっているのにも通じるものだろう。情報が氾濫する現代社会では「わたし」がどう感じ、どう行動するかが重要である。堀潤氏はフリージャーナリストという後ろ盾のない立場で、単独での取材を進める。3,000人以上いる生業訴訟の原告団の全体像を追うのではなく、原告団に加わった深谷さん個人の日常を追っていく。原発事故によって故郷と仕事を失ったひとりの女性に寄り添うことで、身近な問題として見えてくるものがある。
堀潤氏は市民投稿型ニュースサイト「8bitnews」を運営する傍ら、毎週月曜から金曜まで朝7時からのニュース番組『モーニングCROSS』(TOKYO MX)のキャスターを務めている。本作の撮影は、『モーニングCROSS』の放送終了と同時にスタジオを飛び出し、香港などの取材地へと向かい、翌朝の放送までに戻ってくるという強行スケジュールを重ねてきた。
「やはり取材はお金がかかりますね(苦笑)。NHKにいた頃は伝票を切ればロケ車も編集マンも手配できましたが、今はテレビ出演などで得た出演料はそのままドキュメンタリー映画の取材費になります。大変ではありますが、現場に自分の足で立ってみることは大切だと思うんです。北朝鮮の取材も、平壌大学で日本語を学ぶ学生たちを2年連続取材したことで、一度の取材では見えてこないものが見えてきました。関わり続けることの大切さを実感しました。雨の日も風の日も、関わり続けることでお互いに分かってくるものもあるはずです。圧力を与え続けるという、今の政権のやり方では拉致問題は解決できずにいます。政治的イデオロギーは別にして、新しいアプローチを考えてみるべきではないでしょうか」
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