「読解力低下」騒動のウソとホント(4)教育改革から取り残される時代錯誤な“朝の読書”
#読解力
昨年末あたりから、日本の子どもの読解力が低下していると話題になっている。その原因について「最近の子どもは本を読まないからだ」などとメディアや見識者は騒ぎ立ているが、実はどれも的外れな議論かもしれない――。『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)などの著者で、子どもの本をめぐる事情に詳しいライターの飯田一史氏が、5回にわたるシリーズで読解力問題の実態をえぐり出す!
【シリーズ】「読解力低下」騒動のウソとホント(1) 解消されている“子どもの本離れ”
【シリーズ】「読解力低下」騒動のウソとホント(2) 大学入試改革とマスコミ批判の歪んだ構図
【シリーズ】「読解力低下」騒動のウソとホント(3) 学校にタブレット配布を構想する文科省の思惑
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全国の小中高校で朝の10分間、子どもが自分で選んだ本を読む“朝の読書”運動(以下、朝読)というものがある。
朝読は、国際学力調査PISA2000の読解力ランキングで8位となり、日本の子どもがOECD(経済協力開発機構)加盟国でもっとも本を読まないという調査結果がわかったことで、その対策として実施校数を伸ばしていった――。が、2000年代後半から伸びが止まり、2010年代はほとんど実施校が増えていない。
朝読は01年から始まる“読解力”騒動の恩恵をもっとも受けた運動のひとつでありながら、しかし、2010年代以降の“読解力”観(学力観)とは相容れなかった。
朝読と“読解力”対策の歴史を絡めて、このことを見ていこう。
“荒れた学校”で始まり、“学級崩壊”対策に
1988年、千葉県の私立船橋学園女子高校(96年に東葉高校に校名を変更)の林公教諭は、アメリカの教育者ジム・トレリースが著した『読み聞かせ この素晴らしい世界』(高文研、87年)の巻末にある「『黙読の時間』のすすめ」に注目する。ここに、「一度に10分~15分、子ども自身が自由に選んだ本を読み、感想文や記録は一切求めない」という現在までつながる朝読のスタイルの手本となる記述があった。
林は早速、校内の教師にこの試みを紹介。すると、体育教師の大塚笑子が賛同する。
当時の船橋学園は公立高校の受験で落ちた生徒たちが多く、退学する生徒が「こんなうるさい学校にいたら、私、気が狂っちゃう……」と漏らし、入学式の日に担任に「クソババー!」と罵声を浴びせる生徒がいる学校だった(林公「全校一斉『朝の読書』運動が夢を広げた」、「婦人公論」97年3月号/柳田邦男「危機の子どもを救う読書」、「Voice」2002年12月号)。
大塚は、履歴書を書かせても名前と住所しか書いてこない、資格もなければ部活もしてこず、書くことのない生徒に「趣味は読書」と書かせるために読書をやらせることにした(岩岡千景著『生きる力を育む「朝の読書」静寂と集中』高文研、19年)。
すると、なんと遅刻が激減し、ほかの教師も「あんな静かなホームルームができるのなら」と賛成する意見が多くなった。
こうして始まった朝読だが、最初の10年はなかなか実施校が増えなかった。
しかし、1990年代後半から急増する。98年には400校を超えた程度だったのが、2001年には6000校を超えている。
増加の理由は、ひとつは出版取次の最大手トーハンがバックについて宣伝・広報を担うようになったこと。
もうひとつ決定的だったのは、98年頃から、全国の学校で教育が困難になる状況が多発しているのをマスメディアが“学級崩壊”と称して騒ぎ出したことだった。もともと“荒れた学校”で始まった朝読は、この学級崩壊への対策として注目されたのだ。
90年代後半に朝読を取り上げた新聞記事を見ると、ほとんどの学校では「騒がしく、すさんでいた学校を変えるため」に導入されており、活字離れを食い止めるとか学力向上という目的はついでの話だ。むしろ、“勉強以前の状態”をどうにかすることが期待されていたのである。
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