「読解力低下」騒動のウソとホント(2)大学入試改革とマスコミ批判の歪んだ構図
#読解力
大学入試改革を批判するマスコミの矛盾
17、8年に告示され、20年から順次それに基づき教育が実施されていく新しい学習指導要領では、国語科は従来「読むこと」を中心にしてきたが、そこから転換して「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の3つの習得を目指し、実用的なコミュニケーション能力、社会で使える力を重視する、としている。
これは明らかにPISAで測ろうとしている能力と同じ方向にある。
PISAや全国学力テストで明らかになった日本の子ども(=日本の教育)の課題と、目下、文科省が推進しようとしている教育改革――例えば大学入試改革における記述式重視が無関係だと考えるのは、常識的に言ってムリがある。むしろ、「大学入試を変えれば、現場の教師や受験産業も対応せざるを得なくなる」という狙いが露骨な施策である。
ところが、マスコミは「PISAの読解力ランキングを上げろ」と騒ぎながら、同時に大学入試への記述式導入を批判する。PISA型読解力を上げたいなら、論述能力を向上させなければならないことは明白なのに、だ。
もちろん、大学入試改革に関していえば、具体的な実施にあたって「問題だ」と言われているさまざまな点は、確かにクリアしていく必要がある。そういう面で文科省の擁護はできない。
しかし、「そもそもなぜ記述式を重視したいのか」という意図や、「そもそもどんな結果(事実)が、記述式を重視する方向にアクセルを踏ませたのか」という経緯を理解せずに、「読解力が下がったのは文科省のせいだ。入試改革もひどい。なんとかしろ」と批判するのは、さすがに滑稽である。
さて、「読解力を上げるために記述式を重視する」と同じくらい、一度聞いただけでは理解しがたい「読解力を上げるためにも児童・生徒に1人1台コンピュータを与える」という“GIGAスクール構想”が進んでいることをご存じだろうか? PISAとGIGAの関係を掘り下げることで、15年、18年のPISA読解力ランキング低下の意味が見えてくる。(次回につづく)
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事