水谷佑毅社長の野望とは 医師免許を持つ、ベンチャー経営者の異色の半生
ふたつなき 道にこの身を捨て小舟
波たたばとて 風ふかばとて
無限に枝分かれするにもかかわらず、ひとつの道しか歩めない。捨て小舟のように頼りない足元で、選んだ道を波風が立とうと懸命に進む。西郷隆盛の辞世の句は、経営者の人生を暗示している。
ただでさえ乾坤一擲の身の上で、思わぬ道を選択した経営者が株式会社DYMの代表取締役社長、水谷佑毅氏だ。水谷氏は杏林大学医学部在学中にウェブマーケティングの事業を立ち上げ在学中に法人化し、同大を卒業した直後に株式会社化してCEO(最高経営責任者)に就任する。医師免許を持ちながら一日も医師として働いたことはない、という異色の経歴の持ち主だ。
そのDYMはウェブ関連の事業から始まり、人材紹介サービスなど多角的にサービスを拡大していき、現在展開する事業数は10を超える。設立16年で従業員は555名、雑誌「経済界」の「注目企業44」に2016年から3年連続で選出されるなど、今ビジネスシーンで一目置かれる存在になっている。
医師免許を持ちながら他業種で起業した新進気鋭の実業家、水谷氏とはいったいどんな人物なのか。インタビューから、彼の人生と内に秘めたる思いに迫っていきたい。
水谷佑毅が医師を目指したきっかけ 保健室の先生の勧め
――まず水谷社長の人となりについておうかがいしたいのですが、どのような子どもだったのでしょうか?
水谷佑毅氏(以下、水谷) 基本的に負けず嫌い。いい言い方をすれば独立心が強くて、悪い言い方をすればあまり人の言うことを聞かず、我の強いわがままなタイプだったと思います。親は教育熱心ではありましたが、その反動も今考えるとあったのかなとも思います。
――高校は名門、武蔵高校出身ですよね。
水谷佑毅 勉強は比較的できたと思いますが、それこそ武蔵高校は化け物みたいに頭のいい人がいっぱいいたので、その中で上位を目指そうという気持ちはそこまで起こりませんでした。THE優等生というタイプでもなかったので、武蔵高校に入る前は国立の中学校に通っていたのですが、たまに授業をサボって保健室に入り浸っていたりも(笑)。そのときから「将来は独立したい」と考えていて、「独立するためにはどうすればいいんですか?」と保健の先生に聞いたら、「独立しやすい仕事は医師だから医学部目指せば?」と言われたのが実は医師を志したきっかけです。
――ハイレベルな保健室トークですね……。そして、本当に医学部に入ってしまうと。
水谷佑毅 ただ、医学部は学費が非常に高い。親が出してくれてはいたのですが、そのため、学費以外のお金は一切出してくれない。一応大学生ですから、飲み会にも旅行にも行きたい。アルバイトしようと考えたのですが、医学部は授業が忙しいので、最低時給1万円くらいの生産性はほしい。というか、それ以下では働かないという謎のポリシーがありまして。そうすると、誰かに雇われている状態では到底無理。そこで、自分ひとりで仕事をしようと思ったんです。
――どのような仕事を?
水谷佑毅 当時はちょうどiモードというサービスがリリースされた頃で、今までパソコンでしかできないインターネットが携帯電話でもできるようになった。そういう環境で自分でメディアをつくって広告収入を得る、今でいうとアフィリエイトが主流ですが、当時はある程度PVを見込んで掲載ベースで広告料をいただく純広告という形式のものがあるとネットに詳しい知人から聞いて、やってみようと。あの頃はまだ、ほとんどの携帯にカメラはついていないので、待受画像をダウンロード出来るサイトや、無料HPスペース等をつくって運営したら、週1、2日の作業で年収が4000万円を超えたんです。それが大学1年のときです。
水谷佑毅の学生時代
――大学1年生ながらすさまじい先見の明。普通なら、そのままそれを本業にしようとするくらいの収益です。
水谷佑毅 学生時代から個人事業主で大学3年のときには法人化はしましたが、その時点ではまだ医者になるつもりでした。DYMという名前もそのときからつけていて、医学部の水谷佑毅ということで「Dr. Yuki Mizutani」の略ですから(笑)。当時のプランとしては、このDYMを売却すれば2億円くらいにはなるので、そのお金で卒業後に研修を終えたら開業医になろうとしていました。やっぱり人の下で働くよりも自分がトップとして医師業をやりたいと思っていたので(笑)。
――独立心の塊ですね。
水谷佑毅 ただ、いろいろな研修や実習、視察で病院を回っているうちに、医療現場のIT化が著しく遅れていることに気づいて、だったら自分がひとりの医師として働くよりも、医療現場のIT化を進めるような会社をつくったほうが、医師何千人、何万人分の社会貢献ができるのでは、と考えるようになったんです。もちろん、親や周囲には大反対されましたよ。「これまでの学費にいくらかかったと思ってるんだ!」と(笑)。
――それはそうですよね(苦笑)。具体的には、どのあたりでIT化の遅れを感じたのですか?
水谷佑毅 大学附属病院に数億円もする最先端の電子カルテシステムが入ったと聞いて、楽しみに見に行ったんです。でも、実際は医師が電子カルテに入力したものを看護士が紙に印刷してファイルに挟み、一定期間がたったらカルテ庫に運ばれるという、至ってアナログな使われ方をしていたんですね。
――ほとんどワープロですね。
水谷佑毅 もちろんシステム上で閲覧も保存もできたのでしょうが、医療業界は体育会以上に閉鎖的で縦割り社会。医師免許は更新も定年もないので、医療業界の根幹を担っているのは年配の大先輩方で本当にITリテラシーが低い人ばかりなんです。医療業界に詳しくて、かつウェブやITに詳しい人間って当時はほとんどいなかったので。いいものを導入したところで意味がないんです。一方、私はそのあたりの最先端の技術には触れていたので、それなら自分でやってみようと。幸いなことに、学生時代に稼いでためていた資金があったので、それを資本金にしてDYMを株式会社化したんです。
――ですが、DYMは最初はウェブマーケティングを軸にする会社でしたよね?
水谷佑毅 医療業界は参入障壁が非常に高く、いきなりマネタイズしてベンチャー企業で成功するのはほぼ不可能な分野だと感じていました。倒産してしまえば何も成し遂げられない。私は“負けない戦いをする”のが信条で、そのためには、まずは参入障壁が低く、スピード感を持って拡大していける事業を多角的に展開して会社の基盤をつくってから、本格的に医療に参入するという方針を立てていました。学生時代に強みを持っていたフィールドでまずは事業を興こそうと思い、WEBマーケティング事業をスタートしました。
――DYMは株式会社化とともにうなぎ上りで業績を上げているそうで。
水谷佑毅 そうですね。設立当初はWEB広告市場がドンドン伸びている成長産業だったので、その市況に乗れたんだと思います。ただ、当初は主に中途の人材を求人媒体で採用して人員拡大していたものの、なかなか良い人に恵まれず、プログラミングも経理も営業もほぼすべての分野をひとりで管轄していたので、社員が40人、売上が10億円くらいになるまでは非常に大変でした。他社で実績のある人をヘッドハンティングして副社長として迎えたのですが、謀反を起こされて会社を乗っ取られそうになったこともありますし(苦笑)。そんなタイミングから新卒採用を始めて、質の高い人材の採用が出来るようになり、順調に業績も伸びていきました。そういった苦労や経験もあって、新卒の人材紹介事業に参入したのもあります。
水谷佑毅が語る社員と会社
――そして、ビジネスシーンで耳目を集める新進気鋭のベンチャー企業に成長できたと。DYMの社風として、社員旅行やレジャーなどイベントごとが多い印象を受けました。
水谷佑毅 ドライよりウェットな人間関係が好きなんですよ。というか、私自身がすごくさびしがり屋で。1年のうちにひとりで食事をすることはまずないですし、ちょっとしたコンビニへの買い物でも社員を誘ったりします(笑)。職場も令和の時代にもかかわらず、昭和の香りのする会社というのをテーマにしていて、社員同士の交流は強めに持とうとしています。だから、会社のイベントには極力参加してほしいとはいつも言っています。
秋には運動会を実施し、25チームで優勝を競い合いました。普段関わる機会の少ない社員との交流、タテ・ヨコ・ナナメに社内人脈の形成と適度な運動を目的としていますが、毎年社員からも好評で大盛り上がりです。
――社内イベントが豊富でとても楽しそうですね。経営者は社員に悩みも相談できず孤独になりがちですが、水谷社長はそういったものとは無縁そうですね。
水谷佑毅 人が好きなんだと思います。経営者同士の交友関係もかなりあって、A社はあれを求めていて、B社はあれが強みと言っていた。だったら自分発信で両社を引き合わせてみようかな、なんてビジネスマッチングを頼まれもしないのにやったり。人と人をつなぐのが昔から好きなんです。ほめられたものじゃないかもしれないけど、会社をやっている理由も、社会のためというのもありますが、自分の生きた証しを残したいからという面も強いです。だから弊社は社内恋愛も推奨していて、カップルであることを宣言すれば交際手当として3万円、結婚手当で30万円も支給しています。それで結婚指輪を買う社員もいますよ(笑)。
――ものすごく太っ腹ですね(笑)
水谷佑毅 自分がこの世に生まれて会社を経営していなかったらその2人は結婚もしていないし、家族もつくらなかった。そういう人が増えれば増えるほど自分が生きた証になるんじゃないかと思ってるんです。これは小さな例ですが、自分の事業が社会の役に立てば、それが自分自身の存在証明なのかなと。結局、私って承認欲求の塊なんですよね。
――しかし、それが実業家として必要な素養なのかもしれませんね。それでは最後に、水谷社長の今後の目標を聞かせてください。
水谷佑毅 お恥ずかしい話、設立16年以上たって、まだ医療のIT化に携わる事業は大きくはできていません。なので、事業をいろいろ展開していくなかで、いつか設立当初の目的通り、我々の事業で医療のIT化を進めたいと思っています。そこは今後も変わりません。個人の目標は、仕事が人生みたいなところがあるので特にないのですが、最近は健康のために筋トレが趣味になっています。なので、いつまでも健康にいることですね。
――本日はありがとうございました。
(構成=武松佑季)
※本原稿はPR記事です。
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