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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 田中みな実のホントとウソ
テレビウォッチャー・飲用てれびの「テレビ日記」

田中みな実とアンミカの、ホントとウソ

田中みな実

テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(2月16~22日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。 

田中みな実「これからもずっとぶりっ子だし、あざといし」

 ウソとホントを見分けるのは難しいけれど、これがテレビだとさらに困難になる。

 たとえば、田中みな実の“ぶりっ子”はホントかウソか? 作られたキャラなのか、もともとの人格に備わっているものなのか?  彼女が“女性から嫌われる”存在から“女性から好かれる”存在になっても、その詮索はバラエティ番組などで続いているし、実際、真偽はよくわからない。わかりようもない。

 18日の『ザ・発言X』(日本テレビ系)に出演した田中自身は、次のように語る。

「(ぶりっ子な部分は)私じゃなくないです。そういう部分ももちろん持ち合わせているし、これからもずっとぶりっ子だし、あざといし。(持ち上げられてる)今は、世の中がちょっと不思議な感じになってるんだなって思ってます」

 自分にはもともと“ぶりっ子”な部分があり、変わっていない。世の中の評価が変わっただけ。少し前までの野性爆弾・くっきー!が、今の状態は世間の時空がゆがんで一時的に人気になっているだけだと繰り返し言っていたけれど、田中もまた同様に俯瞰する。実際、そういう面はあるのだと思う。山里亮太にしろMattにしろ、手のひら返しはテレビと世間の常だ。

 他方で、田中はこうも言う。”ぶりっ子”と呼ばれ嫌われていた時期は嫌ではなかったのか?  と問われたときの応答だ。

「(嫌な思いは)ないです。知らないよりかは嫌われてるほうがいいと思うし。嫌われるようなことしてるから、テレビで。ぶりっ子みたいなのって面白くやってるけど、それをエンタテインメントとして作ってる側だから」

 いわゆる”ぶりっ子”的なものは、テレビのエンタメ用に作っている面もあるのだという。なんだか、上述 の”ぶりっ子”はそもそも持ち合わせているものという言葉と矛盾するようにも聞こえるけれど、そういうわけではないだろう。元の性格に含まれる部分を誇張したのがテレビ上の私の”ぶりっ子”です、という話だろうからだ。

 だけれどこれを、“ぶりっ子”は素だと語る田中と、“ぶりっ子”は演技だと語る田中――極端に要約すると、なんだか言ってることが矛盾しているように見えるのは確かだ。そして、テレビはそんな要約を時に許す。

 ちょうど、田中が”ぶりっ子”はエンタメ的な加工物、というような話をしたときに、SHELLYが「(ぶりっ子は本来の)私じゃなかったって、切り捨てなきゃダメじゃない?」と飛びつき、ホントとウソの境界線を明瞭にしようとしていたように。もちろんそのSHELLYの役回りも、テレビ的に誇張されたものなのだろうけれど。

 いずれにしても、田中自身もまた、矛盾と読み取られる余地を残した発言をあえてしているようにも見える。“ぶりっ子”は素か演技か、ホントかウソかという境界線を曖昧なものにして、謎が残る自分を、それこそエンタテインメントとして演出しているようにも見える。

 いや、謎とかいうと大げさだし、その謎の答えを本当に知りたいかどうかと尋ねられると、どうだかな、とは思うけれど。

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