『チコちゃんに叱られる!』槇原敬之の曲を変わらず使用! 他局の差し替え判断との違いにファンから感謝の声が
#槇原敬之 #チコちゃんに叱られる!
大阪人のせっかちさから生まれた“エスカレーター片側乗り文化”
「大阪の人がエスカレーターで右側に乗るのはなんで?」と質問されたのは、ゲストの土田晃之。彼のテンションが、妙にずっと高いのだ。『バイキング』や『さんまのお笑い向上委員会』(共にフジテレビ)のときとは明らかに違う。実は彼、この番組の大ファンだそうで、冒頭から「チコちゃん、かわいい!」を連呼しまくりなのだ。
そんな土田は、この質問に対し「大阪の人に聞いてくれよー」と困惑した。確かに、彼に聞くべき質問じゃなかったかもしれない。チコちゃんが発表した答えは「阪急電鉄が決めたから」だった。
そもそも、エスカレーターは、1900年にパリで開かれた万国博覧会が初お披露目である。日本では1914年に上野公園で開かれた東京大正博覧会で初登場。この頃のエスカレーターは移動用ではなくアトラクションだったが、同じ年に日本橋三越本店の前身、三越呉服店で常設のエスカレーターが登場する。当時はまだエスカレーターで歩く人自体があまりいなかったので、片側に並ぶという習慣も生まれなかった。
片側並びが始まったのは1967年頃の大阪で、きっかけは阪急電鉄のアナウンスだった。阪急梅田駅が移転したときエスカレーターと動く歩道が設置され、せっかちな大阪の人がエスカレーターを歩き始めたのだ。でも、エスカレーターに立つ人の間を縫って歩くのは危険。そこで、阪急電鉄は列を整理する目的でアナウンスを始めた。
「お歩きになる方のため、左側をお空け願います」
これがエスカレーター片側乗り文化の誕生であり、大阪の右側並びの習慣が始まった瞬間だ。1970年の大阪万博説も聞いたことがあるが、それではなく阪急電鉄が始まりなのか……。
でも、なぜ右側なのだろう? 阪急電鉄いわく「なぜ右側並びにしたのかは、はっきりとはわかっていません」。それにしても、元をたどると、片側並びは大阪人のせっかちな性分から生まれた風習とは驚きである。
一方、東京の左並び文化が始まったのは1989年頃。新御茶ノ水駅に41メートルもの長いエスカレーター(当時の地下鉄で最長)ができたことが1つのきっかけだった。やはり、急ぎたくて歩く人が増え、歩く人たちを避けるために左側に立つ習慣が始まった。これは、車は左側通行で右は追い越し車線という日本の交通ルールに倣ったものである。
エスカレーターの片側並びが国の交通ルールに倣う関係性は日本だけでなく、フランスもオーストラリアも中国もイタリアも同様だ(イギリスは道路が左側通行でエスカレーターは右並びだが、ほかの多くの国では反対)。
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