『チコちゃんに叱られる!』槇原敬之の曲を変わらず使用! 他局の差し替え判断との違いにファンから感謝の声が
#槇原敬之 #チコちゃんに叱られる!
お風呂を「湯船」と呼ぶようになったのは江戸時代から?
「この中で一番、お風呂にゆっくり入れないくらい毎日忙しい大人ってだーれ?」という問いに手を挙げたのは、MCの岡村隆史だった。
「大河の件も、いろいろあるんで」(岡村)
沢尻エリカの件もあって、いろいろ大変なんだろうな……。
「なんで浴槽のことを湯船っていうの?」と質問された岡村は「船乗りは海水の潮で肌がパリパリになる。そのために、船にお湯をためて体をぬくめたり、汚れを取った」と回答、チコちゃんから「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と叱られてしまった。チコちゃんが発表した答えは「“湯船”という船があったから」だった。そのまんまだな!
詳しく教えてくれたのは、庶民文化研究家の町田忍さん。江戸時代には、船の内部に浴槽を作り、岸や川筋に漕ぎ着けて入浴させていた船があった。「湯を積んだ船」なので、これは「湯船」と呼ばれたそうだ。
江戸時代の船の図鑑『和漢船用集』に、湯船の絵が描かれている。全長はおよそ10メートル。中央の小屋の中にお風呂があり、船の小屋からは湯気が漏れ、お風呂に入ろうとする裸の人も描かれている。なんか、この絵を見ているとマジックミラー号を思い出してしまうな……。
湯船が岸に着いたらオーナーがほら貝を吹き、周辺住民に到着を知らせていたとのこと。この浴室は、混浴だった可能性が高いようだ。
当時、水道の整備は不十分で、自宅にお風呂があるのは上級武士のみ。そこで庶民のために生まれたのが銭湯だった。しかし、それらは都市部に集中しており、郊外に暮らす人はなかなか利用できない。そこで、郊外の人のために造られたのが、船の上に浴槽を載せた移動式銭湯「湯船」だ。
この湯船は人気を博し、郊外の人の中で「お風呂」=「湯船」という認識になる。そして、浴槽と同じ意味として、「湯船」という言葉が全国に広まっていったとのことだ。
Twitter民がチコちゃんに異論!?
さて、この江戸時代起源説に待ったがかかる事態が起きた。Twitterで、言語学者など、識者らから異論が上がったのだ。「“ゆぶね”という言葉は、平安時代の『和名類聚抄』にまでさかのぼる」「ゆぶねは、実は平安時代からある」という物言いである。
ただ、漢字を当てた「湯船」は、確かに江戸時代がルーツの可能性が高いよう。また、「湯船」という言葉が大衆化したのは、江戸の銭湯文化がきっかけなのは事実のようだ。
双方、言い分はあると思うが、とりあえず諸説入り乱れている。「チコちゃんがツッコミを食らった!」という格好だ。
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