モラハラ夫が「正しさ」の呪縛から解放されるまで
#モラハラ #モラハラのトリセツ
モラハラでモラハラを制するのはNG!
モラハラの加害者に「あなたのつらさ以前に、あなたからのモラハラで、相手は傷ついてるんですよ!」などと言うのは簡単なことです。ですが、それは別の「正しさ」による抑圧にしかなり得ません。モラハラでモラハラを制するのは、誰にとっても良い結果をもたらしません。僕自身「加害者更生プログラム」に類するところで、そのような経験をしたことがあります。
本来は、被害者感情に配慮しながらも、加害者の傷を丁寧にケアすることが大事です。その頃のことを思い出しながら、僕はEさんに共感の姿勢と、自分が過去に経験したことを伝えました。
自分の話を受け止めてもらえたという安心感、または僕の話を聞いて、このままだと将来的に離婚といった結果を招いてしまうことを予感したのか、Eさんは、今感じているしんどさについてポツリポツリと語り始めました。
「実は、今の状況が良いとは思えない。だけど、やめようにもやめられない自分がいて、それが一番しんどいように思う。どうしても『正しいこと』以外を選択できる気がしない」
この言葉に、Eさんの本当の気持ちと傷を見た気がしました。「正しさ」とは間違いが許されない、または許さないという、自分や他人への大きなプレッシャーにもなり得るのです。
本来、間違いを犯さない、いつでも正しい完璧な人間などいません。完璧さを求めてしまうことそれ自体が、不完全な証拠ともいえます。そして、完璧さを求めてしまうのは、いつでも自分に不全感を感じてしまう自己肯定感の低さからともいえるでしょう。
Eさんの自己肯定感が低くなった要因を丁寧に掘り出し、癒やしていく過程が必要とお互いに感じ、Eさん夫妻とは継続的にカウンセリングを続けていくこととなりました。
また、妻・Mさんも正しさに依存しすぎる傾向が多少認められたため、個別/カップルカウンセリングで、対話を継続することとなりました。
Eさん夫妻の話を傾聴し、共感しながら「失敗を笑いに変える」「成功は一緒に喜ぶ」を中心に、雑談の中から過去の傷が掘り起こされればそこをケアし、必要に応じて僕自身の失敗談も話す……ということを継続していきました。
そんな対話の継続によって、ほんの少しずつではありますが、Eさん夫妻は「正しさ」に対する依存を手放し始めています。
これは裏を返せば「正しくない」ことに対する不安から解放され始めているということ。「正しいこと」ができなかった自分にOKを出せるというのは、自己肯定感が上がった証左ともいえます。
MさんはMさんで、夫のモラハラについてSNSでのアドバイスをうのみにすることが減り、自分自身で考えられるようにもなり始めています。
それでもモラハラは、ある日突然スッキリ治る! というものではなく、時折小さな問題は起きますが、その都度しっかりと話を聞くことで、EさんもMさんも、それ以上にこじれることはほとんどなくなったように思います。これ以上こじらせないためのスキルを少しずつ身につけ始めた2人は、こじれないという自信もついてきたように思えます。「正しさ」にすがり、「いい加減」なことが嫌いだったEさんは、少しずつ変化しています。
そんなEさんの冗談めかした「これが『正しい』コミュニケーションなんですね!(笑)」なんて言葉には、ついつられて笑ってしまいつつも、まだまだこれから……という思いもありますが、ゆっくりと少しずつ「いい加減」もとい「好い・加減」なコミュニケーションを楽しんでもらえるようになれば……と僕は願っています。
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