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本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」

「復帰しろよ…」義妹・ちあきなおみに宍戸錠さんが残した遺言と、その壮絶な背景

ちあきなおみ

 1月21日、虚血性心疾患のため86歳で亡くなった“エースのジョー”こと俳優・宍戸錠さん。生前、「週刊新潮」(新潮社)のインタビューを通じて、義妹にあたる歌手のちあきなおみに、「復帰しろよ」と話していたことがわかった。

 ちあきなおみは、1969年に21歳で日本コロムビアレコードからメジャーデビューした後、1971年に「4つのお願い」が大ヒットして、『NHK紅白歌合戦』に初出場。以降、音楽番組に引っ張りだことなったが、幼い頃から波乱万丈な人生を送ってきていた。

 当時、人気だった音楽番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)には、ご対面コーナーという人気企画があり、これは歌手本人には内緒で、突然ゆかりの人がスタジオに登場するというものだったが、ちあきは、これに出演した際、“ご対面”の相手が父親と知ると、会うのを拒絶したのだ。筆者は、この一件をきっかけに、彼女の生い立ちを取材することになったのだが、そこでわかったのは、彼女が子どもの頃から、不甲斐ない父親に代わって、生活を支えてきたことだった。

 4歳でタップダンスを覚え、5歳で日劇の初舞台を踏んだちあきは、小学校に入学してからは、“五条エミ”の芸名で、米軍キャンプほか、ドサ回りで歌ってきた。取材を進めても、父親については悪評しか聞こえてこず、彼女が父親との対面を拒絶した理由が窺い知れた。

 それでも歌手デビュー後、次から次へとヒットを飛ばしたちあきは、72年、「喝采」で日本レコード大賞を受賞。実力派歌手としての地位を確立し、78年には、当時、俳優で宍戸錠さんの実弟・郷鍈治さんと結婚した。

 しかし、この結婚をめぐって、ちあきは、レコ大大賞受賞歌手であるにもかかわらず、所属のコロムビアレコードから契約解除されてしまう。公式には「自分の歌いたい歌を歌いたい」ということだったが、真相は、郷さんとの結婚が、ちあきを寵愛していた作詞家の逆鱗に触れたためだといわれている。

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