『チコちゃんに叱られる!』不覚の炎上騒ぎ! 独身・岡村隆史へのイジりは男性蔑視の表れか?
#岡村隆史 #チコちゃんに叱られる!
関東大震災が食文化に与えた影響
「おでんの『でん』は何?」という質問に、滝藤は「代々伝わってきた家庭の味を今の時代に伝える『伝(でん)』」と回答。チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と叱られてしまう。MCの岡村隆史は、おでんを区切る板を真上から見ると田んぼの「田」に見えるから「田(でん)」ではないか? と推測した。
どちらも不正解。チコちゃんが発表した答えは「おでんのでんは豆腐」だった。
串に刺して焼く豆腐を「田楽(でんがく)」と言うが、もともとは平安時代に豊穣祈願のために踊る舞を田楽と呼んだそうだ。そして、豆腐を串に刺した様子が舞を踊っている人の姿に似ていたから、この豆腐料理は田楽と呼ばれるようになる。
この豆腐料理は、後に宮中に入った。そして、宮中に仕える女性たちが田楽を呼ぶ際、上品に頭に「お」を付けて「お田楽」になり、省略されて「おでん」になった。つまり、「お」と「でん」である。江戸時代になるとこのおでんは屋台で売られ、うどんやだんごと並ぶほど人気商品になる。
ここまでのおでんは、串に刺して焼いた料理を指している。そして江戸時代後期、千葉県の銚子や野田辺りでしょうゆの製造が盛んになり、江戸の街でしょうゆ味で煮込んだおでんが新たに生まれた。
江戸でしか食べられなかったこの煮込みおでんは、大正時代に東京の料理人によって大阪へ持ち込まれた。当時の関西のおでんは串に刺す田楽スタイルだったので、区別するため、煮込みおでんは「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれたそう。関東煮は濃いしょうゆベースの味付けだったため関西の人の口に合わず、昆布だしを使った薄めの味付けにアレンジされ、さらにたこ、牛すじ、クジラの舌などが加わって関西でも大人気になった。
そして、あることをきっかけにこの関東煮は関東へ戻った。1923年に関東大震災が起きたのだ。これによって、関東の料理店は大ダメージを受ける。このとき、関西の料理人が関東に集まり、炊き出しのボランティアで振る舞ったのが、関西風にアレンジした関東煮……つまり、今、私たちがイメージする出汁ベースのおでんだった。
以降、関東でも出汁ベースの関西風おでんが一般的になり、今や全国に広まって各地で愛される料理になったのだ。
銚子、野田でしょうゆの製造が盛んになる→江戸で煮込みおでんが人気を博す→関西に持ち込まれる→関西でアレンジされる→関東に逆輸入。物凄い往復である。あと、往復と共に形を変えてきたおでんの歴史も泣ける。体だけでなく心も温まりそうだ。
前回のお肉屋さんがコロッケを売り始めたきっかけといい、関東大震災が食文化にさまざまな影響を与えていることもわかった。もしかしたら、我々はいまだに真っ黒な汁にぶっ込まれた辛いおでんを食べていたかもしれないのだ。
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