萱野稔人と巡る【超・人間学】人間の本性としての暴力と協力(後編)
#萱野稔人 #超・人間学
身内とよそ者を区別する多様な縄張り意識
川合 暴力の根底には怒りがあります。この怒りという感情の起源が、前回萱野先生が「暴力発生の要因」として指摘した“縄張り”にあると考えられています。多くの動物は自分の縄張りを持っていて、他の個体が侵入してきたら排除しようとします。このときの生理的、身体的に活性化した状態が、怒りの起源になったと言われているんですね。そして、人間の縄張り意識は実は非常に広い概念を含んだものになっていて、単に所有する土地やテリトリーを意味するものではないんです。たとえば、自分の身体、家族や友人といった人間関係、自分の属する社会や秩序なども、ある種の縄張りとして機能しています。テリトリーへの物理的な侵入だけでなく、侮辱といった行為でそれが傷つけられたと感じたときでも、縄張りが侵されたときと同じ反応を引き起こす。ですから、戦時の日本人たちの間には、自分たちの国がひどい仕打ちを受けているという認識から「自分たちの縄張りが侵略された」という怒りがあったともいえると思います。
萱野 とても重要なご指摘だと思います。人間の縄張り意識には、土地などの具体的な価値だけでなく、集団のメンバーシップやルール、自尊心、秩序といった抽象的な価値も含まれるということですね。そうした縄張り意識も、人間が進化の過程で身に付けてきた生来的なものだと考えられるでしょうか?
川合 人間は生まれた瞬間から、さまざまなかたちはありますが、家族という集団に属して、その中で育つことで進化してきましたから、“家族=縄張り”という意識は常に持ち続けてきたでしょう。物理的な土地ではなく、そういった意味での縄張り意識は原始的な社会からあったはずです。
萱野 むしろ、土地に対する縄張り意識は、家族や仲間といった人間関係に対する縄張り意識がまずあって、そこから生まれてきたものだと考えるべきでしょうね。そうした人間関係に対する縄張り意識が、人類の進化の過程で発達してきたものだということを踏まえるなら、人間は縄張り意識から逃れられないということがいえますね。
川合 集団に帰属すること自体がひとつの縄張りであり、それは人間の本性として深く根付いているものですから、変えられるものではないでしょう。
萱野 その点で言えば、ナショナリズムそのものもなくすことは難しいですね。ナショナリズムとは、ひとつの国家を共につくっているというメンバーシップにもとづいた、ひとつの縄張り意識ですから。もちろんナショナリズムをできるだけ排外的なものにしないようにしたり、より開かれたものにしようとしたりすることは可能ですが、ひとつの国家を共につくっているというメンバーシップの意識そのものをなくすことは実態的にも理論的にも難しいといわざるを得ません。
川合 人間の脳は“身内”と“よそ者”を区別しています。自分と同じ立場の“内集団”と異なる立場の“外集団”について考えたとき、内集団の場合は脳の情動的な判断に関わる部位が活性化するのに対して、外集団の場合は事物について判断をするときに働く部位が活性化します。つまり、人間は“よそ者”については共感や情緒を感じる身内とは違い、いわばモノを見るように見てしまうということです。ただ、この“身内”の感覚を拡大して、共感の射程を伸ばすということは確かに可能でしょう。
萱野 そこをきっちり理論的に分けることが大切ですよね。身内とよそ者の区別については、しばしば「差別や排除につながるからなくすべきだ」と主張されることがあります。しかしその区別そのものをなくすことは人間の本性上無理であり、無理なことを道徳的に強要しても反感を買うだけです。むしろ考えるべきは、どうしたら“身内”の感覚をより広げていけるのか、ということです。また、たとえ脳内では“よそ者”に分類されている他者であっても、その他者に共感できる要素を増やしていくことができれば、身内とよそ者の区別がひどい排除や暴力につながる危険は小さくなっていくはずです。
川合 時代の変化にともなって、意識する機会はかなり増えてきていると感じます。たとえば、私の大学の生協でも学食でも、料金をいくらかプラスしてアフリカに寄付できるようになっています。そういうちょっとしたものでも、新しい情報が伝わるきっかけになることがあります。それで、どんな人たちが暮らしているのか、その社会や文化、産業などを知ることで親近感も湧くでしょう。そういった積み重ねが、社会をより融和的にする可能性になることもあると思います。(月刊サイゾー12月号より)
川合伸幸
1966年生まれ。日本学術振興会特別研究員、京都大学霊長類研究所研究員などを経て、現職。研究領域は比較認知科学、実験心理学など。文部科学大臣表彰・若手科学者賞、米国心理学会 The Frank A. Beach Comparative Psychology Award、日本学術振興会賞、など受賞歴多数。主な著書に『ヒトの本性』『怒りを鎮める うまく謝る』(共に講談社現代新書)など。
萱野稔人
1970年生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。主な著書に『国家とは何か』(以文社)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』(小社刊行)など。
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