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隠蔽された日本兵の精神障害【1】

なぜ“復員”できなかったのか? 戦中も戦後も精神科病院に隔離…PTSDになった日本兵の末路

精神疾患の未復員は故郷から拒絶された

 また、未復員の人たちは、故郷では“英霊”扱いになっているケースもあるという。要するに、「勇敢に戦って死んだことになっているのに、実は東京で精神科病院に入れられていたことが今さら周りに知られては困る」と、故郷の家族・親族から拒絶されてしまうのだ。

「当時は精神疾患自体に対する偏見が現在の比ではなく、ハンセン病や結核以上に忌み嫌われる存在だったんです。この国では戦後一貫して、国策として精神障害者は精神科病院に長期隔離収容すべきという方針が示されていました。80年代前半はまだ精神衛生法の時代だったため、自傷他害の疑いがあり精神鑑定によって入院させられる措置入院か、家族など保護者の同意に基づいて入院させる同意入院の2つの入院形態しかありませんでした」

 “同意入院”といっても、そこに本人の同意はない。すなわち、患者の100%が強制入院だったのだ。この法律の観点から見ると、戦傷病者は措置入院ではなく同意入院であり、家族が「入院させておいてくれ」と言えば、本人が退院したくてもできないことが多かった。

「しかし、84年に宇都宮病院事件という、精神科病院の職員による患者のリンチ殺人が発覚します。この事件が国連の人権委員会でも討議され、日本の精神科医療は国際的な批判を浴びました。これを受けて厚生省(当時)も法改正に着手せざるを得なくなり、87年に施行された精神保健法の下、初めて任意入院という、本人の同意(インフォームド・コンセント)に基づく入院制度ができました」

 任意入院制度ができたことで、精神科病院の了承を得られれば任意退院も可能になった。だが、戦特法下にある戦傷病者に関しては、また別の事情が絡んでくる。それは、「戦争=国家の責任で精神疾患を発症した患者を途中で放り出すとは何事だ」という批判だ。事実、古屋氏によれば、厚生省に対してそういった訴えを起こす家族・親族もいたという。

「確かに、入院している限り未復員の方々は最低限のケアは受けられます。ただ、病院の中で暮らさせることが国の責任をまっとうすることなのか。むしろ、退院できる方は地域で暮らし、そのための支援を受けるのが当たり前でしょう。しかし、日本で精神障害者を地域や在宅でケアをするという具体的な施策が打ち出されたのは00年で、国が本格的に退院促進・地域移行に動き出したのは03年以降。それから15年以上たちますが、残念ながら目立った成果はありません」

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