なぜ“復員”できなかったのか? 戦中も戦後も精神科病院に隔離…PTSDになった日本兵の末路
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病院にいる戦傷病者に恩給が支給される法律
終戦後も、精神障害兵士の多くが国立の療養所で生活を続けることになり、引き取り手のいない精神障害兵士は“未復員”と呼ばれた。85年まで約1000人が精神病の治療を必要とし、その半数以上が入院していた。戦後50年を経た95年に至っても253人が入院し、191人が入院外で療養。18年現在、6人が治療を続け、うち3人は入院中である。
なぜ、彼らは復員(軍務を解かれ帰郷すること)できなかったのか? 『隠されたトラウマ』にも出演し、ソーシャルワーカーとして国立武蔵療養所(現・国立精神・神経医療研究センター/東京都小平市)に26年間勤めた日本社会事業大学大学院教授の古屋龍太氏は、こう話す。
「国立武蔵療養所は日中戦争の激化を背景に、40年12月に開設されました(当時は傷痍軍人武蔵療養所。戦後、日本軍の解体に伴い改称)。入院患者の大多数は国府台陸軍病院からの転送患者で、40~45年に953名の患者が収容され、もっとも入院者数が多かったのは44年12月の417名。彼らの8割近くが精神分裂病(統合失調症)と診断されていました。私が入職した82年には、約50人の未復員の方々が入院されていました」
古屋氏を含む武蔵療養所の職員は、彼らの診療に当たる一方で、症状の軽い患者の社会復帰活動も積極的に行っていた。
「当時、小平にも新興住宅ができていたので、郷里には帰れなくとも、アパートで単身生活をしていただくために、今でいうアウトリーチ(療養所からアパートへの訪問)やデイケア(日中は療養所で過ごしてもらう)という形で支援をしていました」(古屋氏、以下同)
しかし、やはり彼らを“復員”させることは非常に困難だった。その原因のひとつが、家族・親族からの反対である。
「未復員の方々は軍人として、戦傷病者特別援護法という法律に基づいて入院しており、軍人恩給が支給されます。病院内にいる限り、入院されているご本人はそのお金をほとんど使う機会もありませんから、ご家族に管理していただきます。しかし退院すれば、恩給はご本人の大切な生活費になります。残念なことですが、入院中の恩給がすべて家族によって消費されてしまい、ご本人の退院時には預金残高がゼロということもありました」
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