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萱野稔人と巡る超・人間学

萱野稔人と巡る【超・人間学】人間の本性としての暴力と協力(前編)

暴力的傾向を淘汰する自己家畜化

写真/永峰拓也

萱野 人類の歴史の中でも、20世紀は暴力の世紀だったとしばしばいわれます。確かに20世紀には第一次・第二次世界大戦があり、膨大な数の犠牲者が出ています。しかし、アメリカの認知心理学者スティーブン・ピンカーが指摘しているように、人類の歴史を近代から中世、古代へとさかのぼっていくと、過去に行けば行くほど暴力によって死ぬ人の割合が高くなる。つまり、人類が農耕を始めて定住化して以降の歴史だけを見ると、人間はどんどん“脱暴力化”してきている。この点についてはどのように考えられるでしょうか?

川合 暴力の減少が進んだのは、社会的な状況の変化や暴力を取り締まる法や制度が整ってきたということだけではないと思います。「目には目を」みたいなところから始まり、常に法は暴力を抑制しようとしてきました。古代から基本的に暴力によって奪ったり殺したりすることは許されていなかったわけです。もちろん、法は時代を追うごとにより効果的なものになってきているとは思います。しかし、法によって暴力に対して厳しい処罰を与えるだけで脱暴力が簡単に進むわけではありません。そこには人間の本質的な変化があったのではないかと考えられます。つまり、進化の過程でより穏やかな傾向になってきたのではないか、と。

萱野 著書『ヒトの本性』でも紹介されていた“自己家畜化仮説”ですね。

川合 そうです。これは人類が長い歴史の中で他者に対して暴力的、攻撃的な性質を抑えるような進化をしてきたのではないかという仮説で、霊長類学者リチャード・ランガムが主張している人類進化のシナリオです。極端に暴力的な性質を持った人は、皆の協力が必要な社会を崩壊させるリスクがあるので集団から放逐されます。古代の社会では集団から放逐されると生きていけず、もちろん子孫を残すこともできません。その結果、集団内には協力的な人たちが多く残り、逆に攻撃性の高い人たちは減少していったというわけです。自分たちを家畜のようにおとなしく品種改良してきたことを“自己家畜化”と名づけたのですね。

萱野 それは今でも続いているプロセスだといえますよね。殺人などの凶悪事件を起こした人間は長期間、刑務所に入れられたり、死刑になったりすることで、社会から隔絶されます。つまり、凶悪事件を起こすほど暴力的な傾向を持った人間は、現代でも社会から排除され、子孫を残す機会を奪われるわけですね。

 近年の行動遺伝学などの知見では、各人がどれくらい暴力的かという傾向はかなりの程度、遺伝します。したがって刑罰によって犯罪者を社会から隔絶することは、暴力的な傾向を強く持った人間を人類社会から減らすことにつながっている。これが現在も継続されている脱暴力化のプロセスです。

川合 生物の使命、あるいは本能的な役割というものは、突き詰めると2つしかありません。“できるだけ長生きすること”そして“子孫を残すこと”です。

 人間は社会のルールに沿って生きていけば排除されにくくなりますし、他者と協力的な関係を結べば、それだけ子どもを作るチャンスに恵まれます。そういう生き方をすることが、結果的に生物として使命をまっとうすることにつながるのですね。それを無意識的にわかっているから、人間は暴力を抑制するということもあるのではないでしょうか。人間のそうした合理性と社会性が“理性”を高めていったことも、暴力の減少に大きな影響を与えているようにも思います。

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