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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 『死霊の盆踊り』ほか珍作映画
江戸木純×叶井俊太郎のサイテー映画対談

サイテー映画との出会いは人生を大きく変える!? 『死霊の盆踊り』ほか映画史に残る珍作奇作たち

日本屈指のサイテー映画とは?

ギャガ時代の江戸木氏がつくった『死霊の盆踊り』の手描きのプレスリリース。「ハカバカーナ」という仮題が付いていたことが分かる。

江戸木 イタリア映画『ラットマン』もひどかった。

叶井 世界一小さい人ネルソン・デ・ラ・ロッサさんが、人を殺しまくるというひどい内容。日本テレビの「世界の奇人さん大集合」みたいな番組に出演することになって来日させたんだけど、空港まで取材に来ていた女性誌のカメラマンがロッサさんに「スーツケースの中に入って」とか無茶なことを頼んで写真を撮っていた。今だったら、大問題でしょう。ロッサさん本当に小さくて70センチくらいしか身長がなかったんだけど、そんなに小さいならホテルに泊まらなくてもいいんじゃないとか誰かが言い出して、俺のアパートに泊めることになってさ。浴室のバスタオルとか入れる籐籠で2日間寝てもらった。ひどい話だよね。

江戸木 その話は初めて聞いた。サイテー映画にはサイテーなエピソードがいろいろとあるもんだね。

――江戸木さんが発掘した北朝鮮映画『プルサガリ 伝説の大怪獣』(85)も、忘れられない作品です。

江戸木 別に僕が発掘したわけじゃないですよ。これはJCAから新しいビデオ・レーベルのプロデュースを頼まれて、よくその事務所に出入りしていたんだけど、たまたまその会社が北朝鮮映画の窓口という人から相談を受けていて、『プルガサリ』の35ミリフィルムがその事務所に積まれていた。見せてもらったら新品のきれいなフィルムで、映画も面白い。これはちゃんと公開すべきだと思ったので新レーベル「レイジング・サンダー」の配給で劇場公開したんです。『ムトゥ』と同じ年、1998年の7月公開で、キネカ大森1館の公開だったけど予想以上のヒットになった。でも、その数週間後、北朝鮮がテポドンを発射した途端、劇場はガラガラになっちゃった。(笑)

叶井 「レイジング・サンダー」がなくなったのは残念。『プルサガリ』はリメイクされたんでしょ?

江戸木 そう、脱北したシン・サンオクというプロデューサーが、米国に渡ってルーマニア・ロケでつくった。『ガルガメス』(96)という題名で、日本でもビデオ発売されたことがあります。舞台は中世のヨーロッパなんだけど、物語はまったく同じ。けっこう、よくできたファミリー映画だったよ。

――お話を聞いていると、江戸木さんの映画紹介が叶井さんの映画人生を大きく左右したようですね。

江戸木 叶井くんと僕には共通の知人がいて、その人からの影響が大きいと思う。

叶井 映画宣伝会社イーグルスカンパニーの梶原和男さん! 僕が映画業界に入ったのも梶原さんから声を掛けられたから。ラジオ局でバイトしていたら、ちょくちょく梶原さんが映画の売り込みに来て知り合って、梶原さんの紹介でアルバトロスに入社することになった。すごい宣伝マンだった。

江戸木 どの映画にも「これは実話だ」「5分に一度は必ず~」というキャッチフレーズをつけてしまうし、香港映画やフランス映画だと売れないとかいって、香港・米国合作映画とかフランス・米国合作映画に勝手に変えてしまう人だった。ジョージ・A・ロメロ監督の『死霊のえじき』(85)の邦題を考えたのも梶原さん。

叶井 梶原一騎と一緒に「三協映画」を立ち上げた人で、角川映画『犬神家の一族』(76)などの宣伝もやってた。うさん臭い映画宣伝といえば、梶原さんの独壇場だった。梶原さんの宣伝スタイルを受け継いだのは、今や江戸木さんと俺のふたりだけですよ。

江戸木 梶原さんが映画人生を賭けてつくったベトナム戦争アクション『ブルドッグ』(92)もすごい映画だった。フィリピンで撮影したんだけど、撮影がずるずると延びて製作費に2億円くらい費やしてしまったという。すごくチープな『エクスペンダブルズ』(10)みたいな話なんだけど、全編突っ込みどころ満載のすごい怪作だった。

叶井 そうそう! 『ブルドッグ』もリバイバル上映するべきですよ

ー日本にも知られざるサイテー映画があったわけですか。映画評論家の水野晴郎さんが撮った『シベリア超特急』(96)と比べてどうですか?

江戸木 どっちも同じくらい、楽しい映画です(笑)。水野さんの『シベ超』シリーズはいつかちゃんと再評価されるべき作品だと思いますね。

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