勝新太郎と横山やすし、昭和を代表する大スターの息子が歩んだ対照的な人生
#本多圭 #勝新太郎 #横山やすし
昭和を代表する映画スターの故・勝新太郎さんと、女優・中村玉緒さんの長男で俳優の鴈龍さんが、11月1日に急性心不全で急死していたことが明らかになった。55歳だった。
勝さんと玉緒さんの間に生まれた鴈さんは、“芸能界のサラブレッド”として期待されたが、デビュー前の1982年に大麻密売で、2年後の84年には大麻取締法違反容疑で逮捕。さらに89年には、勝さんが監督を務めた映画『座頭市』の撮影中、模擬刀ではなく真剣を使い、切られ役の俳優を誤って切りつけて死亡させる事故を起こしている。
「真剣は、スタッフが用意したものを使用したということで、本人が『真剣刀だとは知らなかった』と釈明したため、罪に問われることはありませんでした」(当時を知るマスコミ関係者)
事件を受けて、しばらく謹慎を余儀なくされた鴈さんだったが、映画公開後の90年1月、今度は、勝さんがハワイのホノルル空港で大麻とコカインを下着の中に隠し持っていたとして現行犯逮捕されている。
「日本に移送される際に『もう、パンツは履かない』と言い放った話はあまりにも有名ですが、その翌年に、今度は日本で麻薬及び向精神薬取締法違反容疑で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。親子共々ですから、どんな家庭環境だったのか、想像に難くありません」(前同)
もっとも、勝さんのほうはその後、舞台復帰して活躍を見せたが、97年に下咽頭がんで死去。65歳の若さだった。
勝さん亡き後、母親の玉緒さんは、鴈さんを1人前の俳優として育てようと奔走。バラエティタレントとしてブレイクした自身のコネで、舞台やバラエティ番組に出演させたが、鴈さんが開花することはなかった。
筆者も、玉緒さんが所属する事務所のオーナーからハワイで鴈さんを紹介され、話す機会があった。だが、『親父が、親父が』と父親の自慢話ばかりを繰り返す鴈さんに、父親の影を背負っている間は売れないと思った。
いつまで経っても親に頼り続ける鴈さんに、玉緒さんも「私が面倒をみているかぎり、あの子が立ち直ることはない」と絶縁宣言。経済的な援助を打ち切った。2年前のことだという。
ところが鴈さんは、玉緒さんを待ち伏せしては、たびたび小遣いをせびっていた。筆者の知り合いの赤坂の飲食店では、この夏、「俺は金がない。おふくろから小遣いをもらっている。おふくろは時間があると赤坂のパチンコ屋にいる」と悪びれもせず、得意気に話していたという。
それから約5カ月後、滞在先の名古屋で急死した鴈さん。遺体が発見されるまで数日間経っていた。
最期まで自立できないまま孤独死してしまった鴈さんだが、同じ境遇でも対照的な人生を送っている人もいる。昭和が生んだ最大の漫才師である故・横山やすしさんの長男で俳優の木村一八だ。
今年11月で50歳になった一八は、親の七光りのもと、14歳で芸能界デビュー。しかし、19歳のときにタクシー運転手に暴行を働いて少年院に送られたうえ、退院後も、再び暴行事件を起こして所属事務所の吉本興業から解雇。事実上、芸能界から追放された。さらに、破天荒な人生を送っていた父・やすしさんが、51歳の若さで亡くなった。
しかし、一八はその後、Vシネマ男優として活躍。18年には『父・横山やすし伝説』(宝島社)を出版。あわせて約15年ぶりにバラエティ番組『ウケる!偉人伝』(日本テレビ系)への出演も果たした。
その頃、筆者はプライベートで一八と会ったが、「今後は、中国映画に進出しますよ」などと語る、逞しい生き方に圧倒された。鴈さんはブレイクしないまま亡くなってしまったが、一八には、遅咲きの再ブレイクを期待したい。
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