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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】

働くほど不幸になるシステムっておかしくない? 非正規雇用者を襲うアリ地獄『家族を想うとき』

我々消費者も主人公一家の敵だった!?

久しぶりに一家そろっての団欒を楽しむターナー家。子どもたちは、リッキーが以前のような陽気な父親に戻ることを願っていた。

 以前は優等生だった長男のセブだが、真面目に学校を卒業しても父と同じような道をたどることになるのかと思うと、ますます反抗的になっていく。ギスギスしたターナー家に明るさをもたらしてくれるのは、末っ子のライザ・ジェーンだ。この子はとても純真で心が優しく、土曜日は父親の運転するバンに同乗して、宅配作業のお手伝いをする。娘が一緒なので、リッキーはいつも以上に張り切って働く。このシーンは本当にほほえましい。その日のターナー家は、久しぶりに一家全員で夕食を楽しむことになる。

 ところが、そんな家族の温かい光景が、さらなるトラブルを招くことに。リッキーが家族をバンに乗せていることが、顧客から親会社へと通報される。リッキーに圧力を掛けるのは親会社だけではなく、当たり前のように宅配サービスを享受している我々消費者もまたこのー家を苦しめていた。業務用の車に本人以外の人間を乗せることは業務違反になると、リッキーは警告される。リッキーはすべて親会社の言いなりにならざるを得ず、もはや何のために働いているのか、生きているのか分からなくなってしまう。リッキーは現代社会の奴隷そのものだった。

 社会を円滑に動かし、人々を平等に扱うはずのシステムがひとり歩きし、いつの間にかシステムそのものが人間を支配するようになってしまった。セブが学校で問題を起こし、親会社から派遣されている現場管理者のマロニー(ロス・ブリュースター)に仕事を早退させてほしいとリッキーは頼むが、答えはNOだった。マロニーは個人的な事情にいっさい左右されないことで、親会社の決めた流通システムを守ってきた。ひとりのドライバーの事情で、そのシステムを止めるわけにはいかないのだとマロニーは冷たい表情で語る。システムの中において、リッキーたちドライバーも、システムを管理するマロニーも、もはや人間ではなくシステムを動かすための歯車のひとつでしかなかった。

 社会福祉の問題点を訴えた前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)を最後に引退するつもりだったケン・ローチ監督だが、英国だけでなく世界中で広がる格差社会の劣悪な現状を見逃すことができなかった。20年間にわたって配管工の仕事をしてきたクリス・ヒッチェンら無名の俳優たちをオーディションで選び、これまで同様に本作もリアルなドラマに仕上げている。舞台となる集配所に集まる宅配ドライバーたちは、現役ドライバーか元ドライバーたちだ。ルールに厳格な鉄仮面マロニーを演じたロス・ブリュースターは、現役の警察官とのこと。なるほどと思わせる配役となっている。

 システムをつくった人間たちが、逆にシステムに支配されてしまっている。間違ったシステムの中で人間らしく生きようとすると、当然ながらボロボロになってしまう。おかしいものはおかしいと誰かが叫ばないと、いつまでも間違ったシステムの中で走り続けなくてはならない。量販店の名ばかり管理職は休日返上で働き続けて体を壊し、身も心も酷使する宅配ドライバーたちはわずか数年後には転職を余儀なくされる。フライチャンズ 契約を結んだ親会社に休むことを認められなかったコンビニ店長は自死へと追い込まれ、残された家族は多額の借金を背負わされた。叫びたくても、言葉にすることができずにいる労働者とその家族はもっともっと多い。

 1936年生まれ、83歳になるケン・ローチ監督は、そんな彼らの言葉にならない声をすくい上げ、観る者の心に響く作品に仕上げてみせている。願わくば、ふだん映画を観ない方たちにもご覧になってほしい。
(文=長野辰次)

『家族を想うとき』
監督/ケン・ローチ 脚本・ポール・ラヴァティ
出演/クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター、ロス・ブリュースター
配給/ロングライド 12 月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開(c)Joss Barratt, Sixteen Films 2019
https://longride.jp/kazoku/

最終更新:2019/12/13 19:00
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