根底にはいつも人種差別がある! ハリウッドの巨匠スピルバーグが訴える“戦争の元凶”
#映画 #戦争 #アメリカ #ハリウッド #スティーブン・スピルバーグ
反戦運動よりも公民権運動に賛同
また、スピルバーグはベトナム戦争の反戦運動に身を投じるわけではなかった。さらに世代的に切っても切り離せない、ドラッグやヒッピーのカルチャーにも接近することもなかったという。
「高校の同級生が『彼は反戦運動には興味を持っていなかった』ことを証言しています。フラワー・ムーヴメントやドラッグ・カルチャーにも目を向けず、映画もデニス・ホッパーが監督した『イージー・ライダー』(69年)をはじめとする同カルチャーと関係深いものには興味を持たなかった。どちらかといえば、デヴィッド・リーンやアルフレッド・ヒッチコックに夢中だった。そんな彼が最も関心を寄せていたのが公民権運動です」
スピルバーグの両親は共にユダヤ人。運動が大の苦手で失語症ということもあったが、ユダヤ人であることを理由にクラスメイトからの罵声を常に浴び続ける少年時代を送っていた。さらに、音楽家で英語教師でもあった母親のもとには、ナチスの強制収容所から生還したユダヤ人が生徒として集っており、アウシュビッツ収容所で彫られた囚人番号の刺青を幼いスピルバーグに見せる者もいた。漠然ながらも鮮烈にホロコーストを筆頭にユダヤ人が歩んできた苦難の歴史を学び、さらに自身が受けるいじめで差別が公然と続いていることを知ったのだ。
「スピルバーグが公民権運動に興味を抱いたのは、ユダヤ人に対する人種差別を身をもって感じていたからでしょう。だから、彼が映画で戦争を題材にする際には人種差別、“人類が抱えている不公平”を課題にしています。その最たるものとしての象徴がホロコーストで、スピルバーグの創作におけるバックボーンになっているのは間違いない。先程、『激突!』『ロスト・ワールド/ジュラシック・ワールド』でベトナム戦争を暗喩していると話しましたが、すでに初期の作品からナチスやホロコーストも違う形で表れていると言っていいと思います。それは『JAWS』(75年)の鮫であり、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス・レックスやヴェロキラプトルといった恐竜たちです。彼らに共通する行動パターンは情け容赦がなくて、問答無用で女だろうが子供だろうが襲いかかっていく。ホロコーストの恐ろしさもそれと同じ。ユダヤ人であれば自動的に虐殺する。そしてシステム化することで、誰も勢いを止めることができなくなってしまう。まさにモンスターとして描いたんです」
このように実は映画監督デビュー以来、暗喩という形で戦争とその元凶となる人種差別を訴えてきたスピルバーグだが、ある時期からストレートにそれらを描破するようになる。その転機となったのがナチス党員でありながらホロコーストから1200人ものユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラーの実話を描いた『シンドラーのリスト』【2】だ。実は企画自体は82年からあったもので、トマス・キニーリーの原作小説の映画化権を獲得したユニバーサル・スタジオの社長シドニー・シャインバーグから「君がつくらなければいけない映画だ」と強く推されていた。シャインバーグは、同スタジオのテレビ部門の責任者だった頃にスピルバーグの短編『Amblin’』(68年)を観て彼の才能を見抜き、スタジオに招いたユダヤ系の恩人である。当時は正面を切ってホロコーストを描くことに抵抗を感じたスピルバーグであったが、それから10年ほどを経て女優ケイト・キャプショーとの再婚に子どもの誕生と、家族を持ったことでユダヤ人という自身のアイデンティティを改めて深く意識するようになっていた。そんな中で同胞がどのような体験をしてきたのか。その問いと想いは映画でのホロコーストの再現へと繋がり、ポーランド出身の撮影監督ヤヌス・カミンスキーを抜擢して実現に臨む。貨車に押し込まれ、ガス室で苦しみ、気まぐれに射殺されるユダヤ人たちの姿をモノクロの手持ちカメラでとらえた画は、スピルバーグに映画であることを忘れさせて精神的に追い詰めるほどだったという。
同作でアカデミー賞作品賞、監督賞ほか全7部門に輝いた彼は、再びカミンスキーと組んで『プライベート・ライアン』【3】で戦場の悲惨さを観客に追体験させる。徹底した人体破損描写、実銃の銃声を用いた効果音、画面をスモーキーなものにする現像法“銀残し”の活用は、その後の戦争映画の表現を完全に変えてしまった。以降、スピルバーグは実話に基づく作品が目立つようになっていく。
「『シンドラーのリスト』がヒットし映画界からも大衆からも受け入れられたことで、世界や人類の負の摂理みたいなものを直球で撮ることに対して、怖いものがなくなった感じが見えました。さらにスピルバーグはユダヤ人としてのアイデンティティを大事にしていますが、イスラエルの暗殺チームがユダヤ人を殺したパレスチナ・ゲリラに報復する『ミュンヘン』【4】では彼ら側に立つことはせず、イスラエルにも問題があるように描いている。結果的にユダヤ人たちからバッシングされましたが、それも承知の上だったのでしょう。ちゃんと映画で戦っているんです。『リンカーン』でも、法案成立と南北戦争終結のためにリンカーンが“ある嘘”をつく場面をクライマックスに持っていく。どの時代、どの世界にも清廉潔白な正義や平和がないことを訴えている。その根底には、人類の不公平を是正したい強い気持ちがあるからです」
すでに70歳を超えた今でも、戦争や人種差別を描き続けるその姿勢が弱まる様子はまったくない。18年に発表され第90回アカデミー賞で作品賞候補となった『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』では、ベトナム戦争をめぐる機密文書をめぐるワシントン・ポスト紙とニクソン政権の戦いを通して、ジャーナリズム・メディアを攻撃するトランプ大統領に対する怒りをぶつけてみせた。いまだトランプによって全世界が翻弄され、彼の人種差別的言動によって銃乱射事件をはじめとするヘイトクライムが引き起こされるなか、彼が次にどのような手を打つのか、注視したい。(月刊サイゾー9月号『新・戦争論』より)
スピルバーグが描いた戦争映画の変遷
【1】『激突!』(71年)
リチャード・マシスンの短編小説が原作のサスペンス・スリラー。商談のために自動車でカリフォルニアに向かうセールスマンがタンクローリーを追い抜く。するとタンクローリーは執拗に彼の車を追い、命をも奪おうとするが……。もともとはテレビムービーとして制作されたが、完成度の高さからアメリカ以外では劇場公開された。
【2】『シンドラーのリスト』(93年)
ドイツ占領下のポーランドで工場経営に乗り出したナチス党員、オスカー・シンドラー。強制収容所の所長を務めるゲート少尉と懇意になるが、彼の行うユダヤ人虐殺を目の当たりにする。やがて工場で雇うユダヤ人たちにも危険が迫るのを察知し、ある行動に打って出る。本作で悲願であったアカデミー賞監督賞に輝いた。
【3】『プライベート・ライアン』(98年)
ノルマンディー上陸作戦での激戦をくぐり抜けたばかりのミラー大尉の部隊に、ある命令が下される。それはライアンという二等兵を戦場から見つけ出して保護するというものだった。冒頭で繰り広げられるオマハビーチでの死屍累々という言葉だけでは済まぬリアルかつ凄惨な戦闘描写は、戦争映画の表現を一変させることに。
【4】『ミュンヘン』(05年)
1972年ミュンヘンオリンピックの選手村にパレスチナ過激派組織が侵入し、イスラエル人選手団を殺害。イスラエル諜報組織モサドは、暗殺部隊を編成して首謀者抹殺を命じるが……。ラストにワールド・トレード・センターが映し出されるが、同時多発テロに対するアメリカの報復とその泥沼化を訴えているのは明らか。
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