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炎上した『あいちトリエンナーレ表現の不自由展』の裏側で、参加作家が対応する「コールセンター」が見た希望

アーティストがつくった「コールセンター」

──この騒動を受け、高山さんは設立した「Jアートコールセンター」を設立しました。どのようにして、アーティストが電話を受けるコールセンターという取り組みに至ったのでしょうか?

高山:今回、あいちトリエンナーレにおいて『不自由展』が一時的に閉鎖された理由が、電凸による攻撃でした。あいちトリエンナーレだけでなく、スポンサーや他の関連施設などにも多くの脅迫電話が来て、それを受ける県の職員が疲弊してしまった。そこで、この展示を閉じざるを得ないという判断が下されたんです。僕自身、かつて電話による脅迫を受けていたことがあり、その大変さはよくイメージできます。

『不自由展』の展示再開を目指していくにあたって、何をやればいいのかと考えた時に「参加アーティストが展示に対する抗議の電話に電話応対をできないか」という発想が浮かんできました。そもそも、抗議の電話を受けていた県の職員は当事者ではありません。彼らがアーティストの撒いた種を全部引き受けて、長い人は3時間も罵倒されっぱなし。電話口では自分の意見を言えないし、名前を言わなきゃいけない、そして自分からは電話を切ることもできません。これは暴力以外の何者でもないですよね。

 そこで、県の職員に「電話応対をしたい」と相談したところ、ありがたい申し出だけれども、職員でないと電話応対はできないという回答でした。

──そもそもは、県にかかってくる講義の電話を、本当にアーティストが受けるという構想だったわけですね。

高山:はい。そこで、現実として電話応対をすることは不可能でも「作品」としてコールセンターをやることは可能だろう、と考えました。ただし、作品として発表した場合、それは「遊び」のように受け取られてしまい、誰も電話をかけてこないことも考えられる。そこで、「合同会社Jアートコールセンター」を設立し、「作品」でもあり、会社が行う「事業」でもあるという意味を与えたんです。作品にしないことによって、相手もこちらも本気度が上がります。

──ところで、『Jアートコールセンター』は、一見すると「高山明の作品」とは見えない形になっていますよね。いったい、なぜこのような形を選んだのでしょうか?

高山:フランクフルトで初演し、六本木アートナイトでも行った、難民の講義をラジオで受講できる「マクドナルドラジオ大学」もそうですが、半分作品でありつつも、本当に都市の一機能になる。そのような方向に自分のプロジェクトを展開していきたいという欲望があります。しかし、作家性や作品性を保ち続けると、アートの範囲内にとどまってしまい、社会のリアルな機能にはなりづらいですよね。

今回、多くの作家がボイコットをして作品を引き下げましたが、それを撤回することが県や事務局にプレッシャーになると思っているからボイコットをしたのだと思います。もちろん、それが一定の効果を果たした側面もありますが、僕はそもそも「作品」という枠組みを信じていない。というと嘘になりますが、作品であることに甘んじたくない。そこで、「作品」から外れた形で「コールセンター」をつくったんです。

怒りのあまり電話口で泣く人々

──では今回、このコールセンターは、どのように運営されたのでしょうか?

高山:まず、「Jアートコールセンター」の場合、県の職員ではないので個人の責任で電話を取ることができるし、意見を言うこともできるし、途中で切ってもいい。電凸に対する「サンドバッグ」になる必要はないという取り決めを作りました。

 オペレーターとして参加したのは、あいちトリエンナーレの参加アーティストを中心に、キュレーター、ギャラリストといった人たち、総勢29人。一番多く電話を受けたのは、キュンチョメのナブチくんでしたね。『不自由展』の出展者からも、チン↑ポム、白川昌生さん、大橋藍さん、小泉明郎さんが参加してくれました。

──そこには、実際にはどのような声が寄せられたのでしょうか?

高山:数としては1週間の活動期間で、717件の電話がかかってきました。ただし、1日3~5人で応対して、また1件の電話が1~2時間に及ぶのも珍しくないことから、実際に取れたのは350件程度でした。

 寄せられた抗議の中でも、いちばん多かったのが「昭和天皇の肖像写真を燃やした」映像を含む大浦信行さんの『遠近を抱えて part2』についてでした。「天皇の肖像写真を燃やす」という行為に対して、ひたすら怒っている電話が多かった。中には、怒りのために泣いていたり、声を震わせていたりする電話もありました。

 一方、いわゆる「ネトウヨ」のような人からもかかってきました。しかし、彼らはこちらの意見を言うと、すぐに切ってしまったり、ネットに転がってる言葉を繰り返すだけだったり、「薄っぺら」というのが正直な印象。だから、何も感じなかったんです。ただ、本当に怒っている人の声は、聞いているこちらも痛いし向き合わなければいけないと感じさせられました。

──今回のあいちトリエンナーレは『情の時代』というテーマでしたが、まさに電話に応対するアーティストを刺激するような「情」があったんですね。では、そのように、本当に怒っている人に対して、どのように向き合ったのでしょうか?

高山:大した人数を受けたわけじゃありませんが、話を聞くしかありません。最初の30分くらいは、こちらの意見も述べずにひたすら聞く。相手の言葉は感情的な怒りなので、話は繰り返していきます。すると、だんだんとトーンが変わってきて、こちらの意見を話せる雰囲気が出てくる。もちろん、そうやって話しても、全く意見を聞かず、ここまでコミュニケーションができないのか……と絶望してしまうような人もいます。しかし、中には聞いてくれるひともいるんです。その結果、「屁理屈」と言われたり、「違う」と否定されたりするのですが、少なくとも僕が話す時間はくれました。

 そこには、何の意見の一致もありません。しかし、自分の意見を言えて、相手の意見も受け止められたことに対して僕自身は「快感」といったらおかしいかも知れませんが、心から「話ができてよかった」と思えたんです。僕が受けた中では、だいたい、3割くらいの人は、こちらの話にも耳を傾けてくれましたね。

──高山さんにとっては、意見が一致することが重要ではなかった?

高山:当初は、「議論」をして、意見の一致を目指していくためにコールセンターをつくった部分もあります。でもそうじゃなかった。意見が異なる相手を「説得しなくていい」と思うと、意見の交換が成り立つ。同じテーブルに乗せられる。

 意見が一致することは、実は重要ではない。それよりも、異なる意見が同じテーブルに乗ること、それこそが救いであり希望なのではないか。もしかしたら、このようなあり方を「公共」と言うのではないかと感じました。

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