“美しい国”における責任、それは風船のように宙を漂う
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「責任を取る」ことの意味がわからない首相
安倍首相は菅原・河井両氏の辞任について「任命責任は私にあり、こうした事態になってしまったことに対しまして国民に深くお詫びを申し上げます」「河井大臣を法務大臣に任命したのは私であります。こうした結果となりその責任を痛感しています。国民のみなさまに深く心からお詫びしたい」と記者の前でコメントしたわけだが、ここまで響くものがまったくないお詫びもそうそうない。またなんかゴニョゴニョ言っているなぐらいのものである。河井氏辞任時のコメント後、記者たちの前から去ろうとしたときに「具体的にどのようなかたちで責任を取るのか」と問いただされたのだが、「国民の皆様の信頼を回復をして、しっかり行政を前に進めていくと、そのことにおいて責任を果たしていく。よろしいですか」と不機嫌そうに早口でまくしたてて行ってしまった。まったく具体的じゃないし、何も言っていないも同然である。まあ、質問にまともに応えられないのもいつものことなので、みんな慣れたものであろう。そこに慣れてはいけないとも思うけれど。
安倍首相はきっと「任命責任は私にある。お詫びしたい」といえば責任を取ったことになると思っている。というか、たぶん責任を取るということについて、とくに何も考えていない。
2017年6月5日の衆議院決算行政監視委員会では、次のような象徴的なやりとりがあった。加計学園問題について安倍首相が同年3月13日の衆議院予算委員会で「もし(私が)働きかけて決めているなら責任を取る」と発言したことに対し、民進党(当時)の宮崎岳議員に「責任とはどういう意味か。どんな責任を取るのか」と問われて、しどろもどろになりながら例によって関係のないことを延々と喋り続けた挙げ句、委員長から「責任とは何かという質問にお答えください」と急かされて、結局「(責任の)中身についてはあえて申し上げる必要はない」と答弁。なんじゃそら。
まあ、やっぱりとくに何も考えていなかったのだろう。
そもそも、閣僚の任命責任について安倍首相が本気で考えているようなら、今回のような人事にはならなかったはずだ。菅原・河井両氏ともに以前からさまざまな疑惑が噂されていたことは有名だ。彼らの入閣の背景には菅官房長官の強い推薦があったという。組閣において、国益や国民の生活向上よりも、“お友達”で固めることのほうが優先されるのだから“適材適所”が聞いて笑わせる。加計学園問題のキーパーソンである萩生田光一氏の文科相就任なんて、適材適所どころジョークにもならない。同大臣の「身の丈」発言は大騒ぎになって英語民間試験を延期せざるを得なくなったわけだが、この延期決定も毎日新聞によれば『首相周辺は今回の決断について、『萩生田氏を守るために、試験見直しを野党に差し出した』と表現」したというから国民を舐めきっている。というか、首相周辺ってどこなんだろうか。いずれにせよ、受験生よりも大臣の首のほうが大事というわけである。しかし、それでとくに政権支持率が下がらないのだから、まあ舐められても仕方がないといえば、仕方がないともいえるが。
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