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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム > 週刊誌スクープ大賞  > チュート徳井、逮捕起訴の可能性
週刊誌スクープ大賞

チュート徳井、今後はマルサが動いて悪質性があったと判断されれば逮捕・起訴される可能性も

 ところで台風19号で深刻な被害を受けた武蔵小杉の47階建てのタワーマンションだが、「不動産混乱」が起きていると新潮が報じている。

 中層階の角部屋の2LDKは8000万円という価格帯だが、早くも住民の中には、「売却価格が10%下がった」といっている住民がいるそうだ。

 不動産屋の間でも意見が割れているようで、「タワマンが林立する近未来都市の魅力で売る武蔵小杉の人気は、そう簡単に落ちない」という声もある。

 だがタワマンに詳しい住宅ジャーナリストの榊淳司は、「下水処理の方法が生活排水と雨水を同じ管で流す『合流式』だったりして、インフラ整備が追いついていない問題点が明らかになりました。(中略)数年後には2割ほど資産価値が下がっていると思います」という。

 果たしてどうなりますか。

 さて、最近、日本人が中国で逮捕され、有罪になるケースが増えている。

 今度は、9月中旬に滞在先の北京のホテルで、北海道大学の岩谷將教授が中国当局に拘束されてしまった。

 日本で、中国近現代史研究の若きホープとして期待される逸材だという。

 岩谷教授はこの9月から2年間の研究休暇をとっていて、中国社会科学院の招待で訪中していたのだ。

 このことは9月18日の産経新聞電子版が第一報を流した。10月23日、安倍首相は王岐山副主席との会談で、岩谷教授を早急に釈放するよう要求したが、ウンとはいわなかった。

 どのようなことで拘禁されたのか? どのような中国の機密を握ったのだろうか。ある教授は、中国共産党の「正義」の歴史がひっくり返る重要な資料を、岩谷教授が手に入れたのではないかという。

 それは「三反五反運動」ではないかと推測する。

 三反五反運動とは、1949年に毛沢東率いる中国共産党が中国を統一した後、中国国内の資本家階級を社会主義経済に従わせていった運動だ。

 この運動で383万人が厳しい拷問を受け、20万人以上が自殺に追い込まれたという。

 その資料を、中国の良心的な研究者が、岩谷に託したのではないかというのである。

 それを絶対阻止したい中国政府が拘束したのではないかと。

 もしそうなら中国という国は、何十年経っても変わることができない国だといわざるを得ない。

 織田信成(32)というフィギアスケーターがいる。織田は2017年4月に、関西大学のアイススケート部の監督を引き受けた。

 ここは歴史ある名門スケート部として知られ、数々の名選手を輩出してきた。在学時代からつながりの深い芝井敬司学長からも後押しされ、一度は断ったが、監督を引き受けた。

 その織田が、今年の9月、関大側から「突如、監督退任」を発表されたのである。

 大学側は「織田の多忙」を理由に挙げているが、織田は、「濱田美栄コーチ(59)の嫌がらせやモラハラがあった」と暴露し、今回、新潮に初めて激白したのだ。

 織田によると、きっかけはこうだ。1人のコーチがリンクで指導できるのは3人までというルールがあるのに、濱田チームのサブコーチたちが、5人以上の選手をリンクで八の字に滑らせていたのを目撃した織田が、濱田に「危ないのでやめてもらえないか」と伝えると、「アンタは間違ってる!」と激昂したそうだ。

 このルールを作ったのは濱田自身なのに怒られたことに納得いかない織田だったが、以来、濱田は「あからさまに織田を無視する」ようになったという。

 それ以外にも織田は、練習時間の変更や、学業不振の部員にペナルティを課すようにしたが、濱田にことごとく否定されてしまったそうである。

 次第に織田はうつ状態になり、めまいや吐き気に襲われるようになってしまった。

 こうした状況を知ってもらうため、弁護士を伴って学長と話し合いの場を持ったが、意外なことに、「そういうことなら喧嘩両成敗、2人とも辞めてもらうことになると思う」と、学長からいわれてしまうのである。

 大学の文武両道の方針に則って部を変えようとした自分が、辞めなくてはいけないのか。ついに織田は辞任することを決断する。

 東須磨小学校のイジメを引き合いに出すまでもなく、学校という閉鎖社会では、一般社会では考えられない対立や足の引っ張り合いが“陰湿”な形で行われているようだ。

 さて、10月22日、内外からおよそ2000人の参列者を招いて行われた、「即位礼正殿の儀」は、つつがなく執り行われた。天皇陛下は、29年前の上皇と同じように、「日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と「お言葉」を述べた。

 この日は、15時半から「祝賀御列の儀」というパレードが催されるはずだったが、先の台風19号のもたらした被害を考慮して、延期になった。

 この延期は、新潮によれば、「30日に85歳のお誕生日を迎える美智子皇后の意向が強く反映されている」というのである。

 菅官房長官を含めた官邸は、祝賀パレードは淡々と進めていきたい」と、強行する姿勢だった。

 だが、15日に西村泰彦宮内庁次長が、天皇皇后両陛下が、被災されている多くの方々について心を痛めていると述べ、美智子皇后も、自身の誕生日の祝賀行事をすべて中止すると発表したことで、流れが変わったという。

 天皇陛下から、「どのような形でパレードが進められるのか検討してみてください」という意向が侍従に伝えられ、宮内庁と官邸が協議した結果、中止となったそうである。

 宮内庁の動きは早く、15日夕刻の時点で、「パレードは11月10日に延期」と伝えられていたという。

 菅官房長官は、「宮内庁と相談し、あくまで内閣として判断した」といったが、実際は宮内庁に押し切られた格好である。

 以前から、宮内庁と安倍官邸の間には「すきま風」が吹いていた。上皇の生前退位を巡って、脇に追いやられた官邸は、意趣返しに当時の宮内庁長官を更迭するという挙に出た。

 今回も、祝賀パレードは国事行為である「即位の礼」の一部だから、憲法上は「内閣の助言と承認を必要」とするが、今回も、両陛下、ひいては美智子皇后の強いご意見があり、「その通りに進めるほかありませんでした」(全国紙デスク)

 新潮は、こうした事態が続けば、御代替わりを迎えた意義が薄れ、上皇と上皇后、天皇陛下と皇后という「二重権威」が鎌首をもたげるような事態になるのではと心配する。

 私などは、いいではないかと思う。天皇陛下といえども、上皇と上皇后から見ればまだ若い自分の息子である。こういうときはこうされたがよくてよと、助言を与えるのはどこの親でもやることだ。目くじらを立てることはあるまい。

 文春では、「即位礼正殿の儀」を平成流から令和流に、天皇が変えたと報じている。平成の「即位礼正殿の儀」では、天皇皇后が「松の間」から出発して、「梅の間」の側面、正面の回廊を経て「松の間」に入場、先に並んでいる皇族方の間を通って高御座の後に回り、階段を上って帳の中に入ったという。

 これは、参列者たちがどこにいても両陛下の姿を肉眼で見ることができるようにという、これまでとは違うやり方をしたというのである。

 当時、それに対して反対の声もあったというが、今回は元に戻したそうだ。それに、会場には精度の増したモニターが多く取り付けられて、儀式の様子はとてもクリアに見えたそうである。

 文春は、「伝統を大切にしつつも時代に即した変化も辞さない“令和流”」だと結んでいるが、時代にあったように工夫するのは皇室といえども当然だろう。

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