西成を舞台にした『解放区』は何が問題だった? 阪本順治×太田信吾監督が邦画界の内情を語る
#映画 #インタビュー
日本で唯一『暴動』が起きる街
――西成で映画を撮るのは難しいんでしょうか?
阪本 いや、そんなことはないよ。別に怖いことはないけど、カメラがあるとオッチャンたちがすぐに寄ってくる。自主映画を撮っていたときもオッチャンが後ろに来て、「この映画のテーマはなんや?」と訊かれた(笑)。オッチャンは関西弁なんだけど、よく聴くと東北訛りが入っている。西成って、地方出身者たちが集まった街なんです。松井良彦監督の『追悼のざわめき』(88年)や山本政志監督の『てなもんやコネクション』(90年)なども、西成で撮っていますよ。
太田 『解放区』を撮ったのは2013年だったんですが、それから6年が経って、西成も変わってきています。2019年3月で「あいりん総合センター」が閉鎖され、街のいたるところに立っていたシャブの売人たちも姿を消してしまいました。西成で最後に『暴動』が起きたのが2008年。その頃に比べると、ずいぶん変わったと思います。映画にも出ていますが、西成出身のラッパー「SHINGO★西成」さんの影響でラップをする若い子も増え、「釜ヶ崎SONIC」という音楽フェスがあったり、オッチャンたちの紙芝居劇団があったり、文化的な匂いのする街に変わってきていますね。
阪本 西成は1990年に起きた『暴動』が大きかったけれど、当時は「花博(国際花と緑の博覧会)」があって、街に活気があった。関西国際空港の開港(94年)や阪神・淡路大震災後の復旧のときも、若い労働者たちが集まり、西成は賑わっていた。経済状況によって、すごく変動のある街でもある。『どついたるねん』の後、『王手』(91年)や『ビリケン』(96年)も新世界で撮影したんだけど、西成のオッチャンたちは飲み食いするのに新世界へと流れてくる。カメラを回していると、やっぱりオッチャンたちが集まってくる。新世界と西成が繋がっている感じだった。新世界は今では観光地化して、すっかり串揚げ通り状態(苦笑)。大阪に帰っても新世界にはあまり行かず、西成の三角公園あたりに佇むようになった。西成のオッチャンたちは、みんなひとり。ひとりで過ごすには、西成はいい街だよ。
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