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萱野稔人と巡る超・人間学【第5回】

萱野稔人と巡る【超・人間学】「宇宙生物学と脳の機能から見る人間」(前編)

地球の生命を創造したもの

写真/永峰拓也

萱野 複雑化の結果として、地球上の生物はかなり多様化しました。ただその一方で、地球上の生命は水とアミノ酸から生まれたことを考えると、むしろ生物全体で共通しているところも多いのではないでしょうか?

吉田 これもまたびっくりすることなんですが、地球上のあらゆる生物の細胞の構造、働きは、基本的にすべて同じ。極論すると地球上の生物は“一種類”しかいないともいえます。バクテリア、原生生物、菌類、植物、動物、人、すべて細胞が生きる基本的な仕組みは共通しているんですね。

萱野 私が吉田先生の著作『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』を読んで面白いと感じたのは、そのような基本的な仕組みのもとで人体を説明していくところでした。原子のレベルにおける基本的な仕組みから生命を論じていく宇宙生物学を見れば、人間も他の生物と変わらないという視点をとても斬新に感じました。

吉田 生命を化学的な反応から見れば、もちろんすべての生物は同等ですよね。人間だから特別な地位を与えるようなことはありません。ただ、そこには人間の“精神”や“心”という観点が欠落しています。例えば哲学者が人間を語るときは、そういった人間の確固たる意思や精神性といったものを前提にしているのではないですか?

萱野 そこは哲学者によっても変わってきますね。人間の意思や精神性を重視する哲学者がいる一方で、人間の身体や物質性を重視する哲学者もいます。両者の違いを端的に言うと、人間は信じるから祈るのか、それとも祈るから信じるのか、という違いです。私自身はどちらかといえば後者の立場です。人間の精神性はとりあえず“カッコ”に入れて、まずは“存在”としての人間がどういったものなのかというところから考えていこうという立場ですね。

吉田 それは、哲学者としては一般的な考え方なのでしょうか?

萱野 必ずしもメジャーとはいえないかもしれません。やはり中世以降のヨーロッパの哲学はキリスト教神学の発展と切り離せませんし、基本的に哲学は人間中心の学問として進展してきましたから。ただ、スピノザやハイデガー、フーコーなど、そうではない哲学の系譜も一方にはあって、そこでは逆に、人間中心の視点を一度“カッコ”に入れることではじめて「人間とは何か」を明らかにできると考えられています。

吉田 なるほど。「人間とは何か」という問いは、立場によって答えが変わってきますよね。1000の立場があれば、1000の答えがある。そして、“人間という物質”は間違いなく存在しているわけですから、その物質がどうなっているのかという側面を見る意味は大きいでしょう。
萱野 そうした吉田先生の視点には、人間中心の哲学を破壊するだけのインパクトがあると私は感じました。すべての生命を同じ仕組みのもとで見た場合、人間を特別な存在と見ることはできなくなりますよね。

吉田 物質として見た場合はそうしないと成り立ちません。

萱野 その上ではじめて、人間と他の生物の違いとは何かを考えることに意味が出てきます。その場合、その違いはやはり“環境の違い”ということになるのでしょうか?

吉田 私は“環境の多様性”こそが生命を生み出した本質だと思います。

(次号に続く)

吉田たかよし
1964年生まれ。医学博士。受験生専門の心療内科「本郷赤門前クリニック」院長。受験医学研究所代表。東京大学大学院工学系研究科卒業後、NHKに入局。その後、東京大学大学院医学研究科・医学博士課程修了。加藤紘一元自民党幹事長の公設第一秘書、東京理科大学客員教授も歴任。主な著書に『受験うつ』(光文社新書)、『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議 』(講談社現代新書) など。

萱野稔人
1970年生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。主な著書に『国家とは何か』(以文社)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』(小社刊行)など。

(写真/永峰拓也)

最終更新:2019/10/25 00:00
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