自伝出版は“不謹慎”か? 収監直前ラッパーD.Oが告白する悪党の美学
#インタビュー #ヒップホップ #ラップ #D.O
刑務所の中にいてもラッパーの活動は続ける
――D.Oさんの場合、前回、09年2月の逮捕はエイベックスからいわゆるメジャー・デビュー作『JUST BALLIN’ NOW』がリリースされる直前のタイミングで、結局、同作は発売中止になってしまいました。僕はあのアルバム、日本のラップ・ミュージックのベスト10に入るような名作だと思っているのですが。
「あざーす(笑)」
――あのアルバムではメジャー・レーベルにおける歌詞の規制をむしろお題のように受け取って、上手くかわしたり、あるいはそれまでにはなかった少年の視点で歌った曲を入れたりしていますよね。後者は新曲の「スタンド・バイ・ミー」につながりますが、D.Oさんがギャングスタ・ラップのステレオタイプとは違った、普遍的な才能を持っていることの証左です。
「そこはガキの頃に好きだった音楽への恩返しというか。ブルーハーツだったり尾崎豊だったりにパワーをもらって、その後の人生にもすごい影響を受けて。僕もそういうプレイヤーになりたいし、そういう役目があると思って作ったんですよね」
――自伝で描かれたD.Oさんの少年時代のような、不良と呼ばれ、疎まれてしまう子どもに届けたいという気持ちがあったのでしょうか?
「めちゃくちゃありましたね。それがなければダメだとすら思っていて。やっぱりラップってガキのものだと思うんですよ。だから、僕がガキの頃に衝撃を受けたロックンロールのようなことをラップでやりたい。それは恩返しでありつつ、自分のカルマの洗浄でもあったんですけど」
――ただ、結局、逮捕に伴うレコード会社の自粛によって世に出ず、自伝にはさまざまな事情で今後も発売は難しいと書かれています。
「でも、出ていないから名作だと言ってもらえるようなところもあると思うんですよね。あのアルバムは発売停止になったことまで含めて、ひとつの表現になっているっていうか」
――なるほど。まぁ、普通に出てほしいですけどね。
「『そんぐらい狂ってるんだよ、ヒップホップは!』みたいな。ひとつの悪いお手本にしてもらうのもいいんじゃないかと」
――「名盤といわれてるけど聴けないじゃん」と。
「そうそう(笑)。そのへん、なんか僕らしくもあるなと」
――そもそも、アメリカのヒップホップは背景に貧困があるので犯罪が身近です。同国では近年も若いラッパーが次々に捕まっていますが、ただ、それによって作品が回収されるという話は聞きません。
「アメリカと日本ではシステムも違うからまた転がり方も違って、日本は日本で面白いと思うんですけどね。あと、アメリカに関しては悪影響もあると思います。例えば6ix9ine(破天荒なキャラクターで注目を集めるが、強盗や殺人などにかかわった罪で逮捕された23歳のラッパー)とか、もっとうまくやれたのにって」
――6ix9ineの場合、悪そうなイメージをつけるためにギャングと付き合って、犯罪に巻き込まれていったという話もありますよね。ラップ・ミュージックのステレオタイプが犯罪を再生産するケース。
「一方で、2パック(多くのアーティストに影響を与え続けている伝説的なラッパー)も死ぬまでに確か何十回も逮捕されているんですよ。でも、ブレるなんてこととはかけ離れた感じで。『オレ、これ(音楽)に命かけてっからさ』みたいな姿勢が見える。どの世界にも共通することですけど、そういう姿勢のプレイヤーでなければ頭ひとつ抜けることはできない。本物として認められない。僕もそのひとりでありたいし、そのひとりでなければいけない責任があると思っていて。だから今の状況は、むしろ勉強させてもらっているつもりなんですよね」
――さらに一方では、ジェイ・Zなんかはドラッグ・ディーラーからラッパー、さらにアメリカを代表する実業家になっているわけじゃないですか。その点、D.Oさんは09年の逮捕の後でライフスタイルを変えようと思わなかったのか。もしくは……自伝には逮捕後、イメージを気にするマスメディアでは仕事がしにくくなったというエピソードが出てきますが、つまり逮捕によってライフスタイルを変えられなくなったようなところがあるのか。
「うーん、そうですね……。変えるつもりはなかったのかな。かといって、犯罪を肯定するわけではなくて。ラッパーとしては、ということです。もちろん、生活に関しては変わったところもあると思いますよ」
――ご家族ができたり。
「ええ。ですけど、先ほども言ったようにラッパーとして変えちゃいけない部分というか、貫かなきゃいけない部分があって。それは永遠のテーマかもしれないですね」
――『悪党の詩』には、今回の裁判について「僕は須藤/君塚慈容としてではなく、D.Oというラッパーとして判決を受け止めた。死ぬまでD.Oを貫くつもりだ。取調室でも、法廷でも、獄中でも、シャバに戻ってからも、ラッパーとしての責任をすべて背負って立ち回らないといけない」「その意味では、子どもたちに『“仕事”でいなくなる』と言ったのも、あながち嘘ではない」とありますが、D.Oさんにとって生きることとラッパーであることが不可分だとわかります。だからこそ、収監中も活動休止には当たらない。
「やっぱり、僕のヒップホップはストリート、現実と連動しているものなので。こんなスタイルでずっとやってきたから、檻の中にいるようなヤツらはヘタな有名人なんかよりも、僕のことを知ってるんですよ。護送車に乗ったときも、先にいた全員が『あれ!? あれあれ!?』ってざわついちゃう感じで。テレビに出たりメジャーな仕事もしてきたけど、『結局届いてたのはここか!』みたいな(笑)。でも、そうすると中に入っても悪いことばっかりじゃないんですよね。特別枠みたいな感じでやれる」
――実際のセールスからは見えてこない、局所的な影響力があるんですね。
「紅白に出た歌手がすごいんだとか、武道館で、東京ドームで公演したアーティストがすごいんだとか、そういう風潮っていまだにあるじゃないですか。でもそれって超クソなことで。そんなところ、なんでもないヤツだって仕込み方によってはいくらでも出られて。一方、そういう嘘くさい、詐欺商法みたいなものじゃあストリートで支持は得られない」
――その道のりが楽なものでなかったことは、『悪党の詩』を読むとよくわかります。
「これでもだいぶ抑えているんですよ(笑)。10を語って、1を使わせてもらってる感じ。『さすがに出せないでしょ!』という話ばっかりで。それを削っても十分面白いぐらい激動の半生だったことは間違いないですね。ただ、その上で展開されたプレイヤーの姿こそを見せたいというか。『全裸監督』も2パックもそうでしたよね。誰にだって思い通りにいかないことはあって、そのときにどう立ち振る舞うかっていう美学。そういう意味では、今の状況もまた見せ場なんですよ」
――しかし、自伝のほかにもう一冊、ビジネス書を書けるくらいポジティブ・シンキングですよね。
「ははは! 収監直前ってもうちょっとしょげてるもんですよね。でも、そのへんもヒップホップから学んだことで。大変だけど楽しませてもらおうか、みたいな。まぁ、『悪党の詩』以外にもいろいろと仕込んであるんで、みなさんも楽しみに待っていてください」
D.O(でぃー・おー)
1978年、練馬区出身。練マザファッカーを率いるラッパー。KAMINARI-KAZOKU.のメンバーとして活動を始め、2006年に1stソロ・アルバム『JUST HUSTLIN’ NOW』を発表した。ほかの作品に『ネリル&JO』『THE CITY OF DOGG』などがある。以前のヘア・スタイルは三つ編みを特徴としていたが、現在は坊主頭である。
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