中川家礼二、フット後藤、霜降り粗品……ツッコミ芸人の身体性
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スピードワゴン・小沢「オレ、漫才じゃなくて向こうに音楽か文学が見えるコンビがいい」
続いて、『ゴッドタン』の企画は「お笑いを存分に語れるBAR
~漫才編~」。今年5月に放送された、芸人らがコントを中心にネタを語り合った回の漫才バージョンである。
こちらもトーク内容は広範にわたる。お互いの掛け合いだけでM-1優勝を勝ち取ったブラックマヨネーズの漫才の完璧さ、M-1史上最もふざけ合って優勝したアンタッチャブルの自由さ、笑い飯の漫才のルーツとしてのおぎやはぎ、くりぃむしちゅー・上田から南海キャンディーズ・山里へと至る例えツッコミの進化――。
そんな多様な話題を含んだ番組の内容を、ここでは次の言葉を切り口にまとめてみたい。「世界」である。
2006年のM-1でのチュートリアルの優勝について、皆が語っていたときのこと。セカオワ(SEKAI NO OZAWA)ことスピードワゴン・小沢は、ふいにこう言った。
「今までの漫才師はボケを見せたの。チュートリアルは世界を見せた」
この話を受けて、矢作も語る。
「チュートリアルに関しては、ああいう徳井さんみたいなザ・イケメンで、ああいう表情でボケるのって、俺、全然笑えなかったの普段。徳井さんだけだもんね、カッコいいのに笑えた。だからうまいこといったと思うよ。ボケじゃなくて世界なんだよね」
06年のM-1のチュートリアルが決勝の2本目にやった漫才は、徳井が自転車のベル(チリンチリン)に異常に執着するというもの。徳井の異様さにおびえる福田という世界観が、そこでは披露されていた。
いわば、漫才師がボケを提示するのではなく、ボケた人がいるという世界の提示。2人の掛け合いの中で独創的な別世界を漫才の中に作り出したからこそ、「イケメン」に対する世間的なイメージがいったん漫才の外にくくり出され、大きな笑いにつながった。勝手な解釈かもしれないけれど、小沢や矢作の話を敷衍すると、こうなるだろうか。
あるいは、小沢は「おぎやはぎの漫才はジャズだもんね」と言う。この言葉が意味するところは語られなかったのでよくわからないけれど、彼らの漫才の即興性や自由さ、観客を彼らの世界に引き込む独特のリズムや色気を指してのことかもしれない。
それはともかくとして、この話を受けてナイツ・塙が語りだしたのは、音楽と漫才の共通点だ。いわく、漫才師が聴いている音楽は漫才に反映される。
たとえば、学生時代にロックバンドを組んでいたバイきんぐ・小峠は、ツッコミでもシャウトする。塙自身、YMOのテクノミュージックが好きで子どものころから聴いてきたが、これも同じテンポを刻み続けるナイツの漫才につながっている。そう自説を述べた塙は、イエロー・マジック・オーケストラならぬ「ヤホー・漫才・オーケストラ」だと言って笑う。
そして、注目の若手芸人を紹介するコーナーで、Dr.ハインリッヒやAマッソ、コウテイやまんじゅう大帝国の名前を挙げながら、小沢は語る。
「オレ、漫才じゃなくて向こうに音楽か文学が見えるコンビがいい」
文学はもちろんのこと、音楽もまたひとつの世界観の提示だ。同じ映像でも悲しい音楽をかければ悲劇に、楽しい音楽をかければ喜劇になるように。おぎやはぎのジャズ、バイきんぐのロック、ナイツのテクノ。漫才は、コントは、ときにBGM付きの独自の世界を見せている。
同じ週に、芸人がお笑いを語る2つの企画が放送された。そこで芸人たちは、身体と世界という2つの要素を語り合った。世界の中にある身体。身体が表現する世界。その蝶番としての、芸人の芸。
やっぱり、テレビの第一線で活躍する芸人たちがお笑いを語るのは面白い。
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