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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム >  パンドラ映画館  > 江戸時代の至高のエロスがスクリーンで
深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.550

スクリーン上に甦った江戸時代の至高のエロス! 大人たちが楽しむ文化記録映画『春画と日本人』

春画と暴れん坊将軍

細川家の私立博物館・永青文庫で開かれた「春画展」。18歳未満は入場禁止だったが、連日にわたって大盛況。女性客が多かった。

 春画は男性だけでなく、女性にもニーズがあった。江戸時代の武家の娘たちは、花嫁道具として春画を持たされたという。男女のおおらかな交わりを描いた春画は、性の指南書であり、子孫繁栄を願ったお守りでもあった。花嫁に春画を持たせるという風習は、昭和初期まで続いていたそうだ。春画が描くエロスの世界は、縁起物・民間信仰として長年にわたって尊ばれてきた。

 春画界に大きな変動をもたらしたのは享保の改革だった。『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)のモデルとしておなじみの徳川吉宗は「好色本禁止令」を発して、春画を規制。テレビドラマの気のいい新さんと違って、実際の吉宗はカタブツだった。だが、幕府が禁じたことで春画はアンダーグランド化し、より自由度が高まっていく。絵師は変名を使い、画材や刷り技術も向上し、春画文化が華やかに広まっていくことになる。体裁を重んじる権力側と春画は、この頃から相反する関係であったようだ。

 明治時代になると明治政府は春画を徹底的に取り締り、多くの春画の原画や版木が処分されてしまう。海外に流失した名画も少なくなかった。本作の中では、ピカソが春画をコレクションしていたというエピソードが取り上げられている。春画ならではのデフォルメや現実では不可能な姿勢(体位)は、ピカソのキュビズムにも影響を与えていたのかもしれない。

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