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本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」

日本レコード大賞がはやくも「あのベテラン歌手」に内定? 審査員の意向は完全無視の内部事情

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 2019年も残りあと3カ月余りとなったが、芸能界では年末の日本レコード大賞を狙って、各歌手陣営による審査員への“裏工作”が早くも活発化している。

「レコ大に多大な影響力を持つ実力者のひとりが大手プロのA社長ですが、そのA社長は毎年、審査員にお中元で果物を贈るんです。そして、そのお中元にはA社長がレコ大でイチ押しする歌手の名前がシールで貼ってあるんです。それが今年は天童よしみだったそうです」(レコード会社宣伝マン)

 天童は、1972年『全日本歌謡選手権』(読売テレビ制作)で10週連続勝ち抜き、14歳という最年少記録で7代目チャンピオンに輝き、審査員を務めていたルポライター・竹中労さん作詞の『風が吹く』でプロデビューした。

 ただし、その後は鳴かず飛ばずで引退を覚悟したこともあったが、85年発売の『道頓堀人情』がヒット。その後、96年には、「ゴダイゴ」を世に送り出し、島倉千代子さんの『人生いろいろ』はじめ、数々のヒット曲を手がけた敏腕音楽プロデューサーの山田廣作さんの手による『珍島物語』がミリオンヒットとなり、ようやくスター歌手の仲間入りを果たした。

 ちなみに、生前、山田さんは筆者に「当初、『珍島物語』は松尾和子さんに歌ってもらう予定だったんですが、急死してしまった。そこで、他の歌手も候補に上がったのですが、レコード会社の要望で天童になった。ただ、『珍島物語』はド演歌ではないから、コブシを回さないでといっても、彼女は癖で回してしまう。レコーデイングには苦労しました」と裏話を披露してくれたことがあった。

 運にも縁にも恵まれた天童は、『珍島物語』の大ヒットで、96年のレコ大最優秀歌唱賞を受賞。その後も、2012年、17年と3度も同賞を受賞しているが、頂点である日本レコード大賞は1度も取っていない。その天童を、レコ大に多大な影響力を持つA社長がプッシュしていることに、関係者は困惑しているという。

「これまでA社長がプッシュしてきたのは、最優秀新人賞を狙う売り出し中の若手や新人歌手がほとんど。ところが、天童は大ベテランです。しかも、A社長と天童には接点が見当たらず、お中元をもらった審査員は戸惑っているようです」(前同)

 実は、『珍道物語』をプロデュースした山田さんは、レコ大の審査員やメディアと癒着するA社長のプロモーション方法に批判的な態度を取り続けていた。それだけに、天童としては接点を持ちたくても、持てなかったのだが、2年前、山田さんが虚血性心不全で逝去。天童が、3度目の最優秀歌唱賞を受賞したのも、その年だ。

「最優秀歌唱賞を受賞した天童は、母親と一緒にA社長のところにも挨拶に行っていますが、それがきっかけで母親ともども親しくなったようです。天童は、歌の実力は申し分ありませんから、A社長も、応援する気になったんだと思います」

 天童は今年6月に発売した『大阪恋時雨』で勝負をかけているが、現段階ではヒット曲と言えるものではない。それでも、日本レコード大賞を受賞することになるのか。

 接待攻勢に溺れ、権力には抗えない審査員に何を言っても無駄なのは承知のうえだが、それでも音楽ファンを裏切らないためにも、審査員の公明正大な判断に期待したいものだ。

最終更新:2021/12/03 01:20
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