野沢雅子の感動逸話と、山田隆夫のギャグの価値
#テレビ日記
オードリー・若林「これはすごい食リポですね」
「いきなり連れて行かれてすごい閉め切った狭い部屋に連れて行かれたら、今までに見たことのない複雑な形のものがポツンと置いてあって。そんな形のものをどうするんだって思ったら、そこに座れと。それでどうしたらいいのかわからないじゃないですか。そしたらすごい呪文をお母さんは教えてくれました。『うーん、うーん、って言ってごらん』」
クイズのようだが、クイズではない。3日放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)に出演していた一般男性、ツボクラさんのエピソードである。このツボクラさん、通常では考えられない体験をした人で、番組では次のように紹介されていた。
「18歳で交通事故に遭って記憶喪失になり、人間の生活習慣全部を忘れてしまったが、奇跡的に社会にカムバックを果たした人」
ドラマなどでは、人の名前がわからなくなったり、自分が何者かわからなくなったり、そんな状態として描かれる記憶喪失。けれど、ツボクラさんが忘れてしまったのは、もっと広範囲にわたることだった。言葉や文字をはじめ、あらゆることを18歳のバイク事故ですべて忘れてしまったというのである。
記憶をすべて失ったツボクラさんは、一つひとつのことを母親と学び直していく。忘れたことは、生命維持に関わることにも及ぶ。たとえば排便。食後、なんだかおなかのあたりに違和感を覚えたツボクラさん。母親に連れられ、トイレに入った。冒頭に引用したエピソードは、そのときのものだ。話は次のように続く。
「『うーん』って言うと、なんかだんだん体がスッキリしていくんですよね。体の中にいた生き物が出ていってる感じ。おいしいとかうれしいとかと違う幸せを知ったな。トイレありがとう」
というかツボクラさんは、排便以前に「食べる」ことも忘れていた。白いご飯を初めて見た彼は、キラキラと光るそれを見て「なんてキレイなものなんだ。これをどうするんだ!」とワクワクしていた。母親に促されるままそれを口にしたツボクラさん。母親は「おいしい?」と聞いてくる。しかし、彼はその言葉の意味もわからない。当時の感覚を、ツボクラさんは次のように振り返る。
「だんだん口に何かが広がっていくんですね。え、なんかすごく胸がほんわりと、ほのかにうれしくなっていくこの気持ち。あ、なんかすごくぴったりな言葉だなって、(『おいしい』という言葉が)すごく素直に受け止めれたんですね。で、赤ちゃんがお母さんの口マネを言い返すように、『うん、おいしい』って素直に言えたのがご飯の始まりでした」
これを聞いたオードリー・若林は感嘆する。
「これはすごい食リポですね。ご飯だけでこれだけ伝えてくれるって」
まっさらな状態で世界と出会い直したツボクラさん。その視線から見た世界は、トイレひとつ、ご飯ひとつをとっても、美しさや奇妙さにあふれた新鮮なものだった。彼の話を聞いていると、すでに私たちが「わかっている」と思っているもの、いや、「わかっている」とか「わかっていない」とかいう認識すら頭に浮かばない、認識以前のものにこちらも出会い直しているような感覚になる。
こんな調子で、寝ること、お風呂に入ること、文字を書くこと、お金を使うこと、それら一切のことをツボクラさんは学び直していく。大阪芸大に入学して2カ月で事故に遭った彼は、大学にも復学した。現在は、草木染めの職人として活動しているという。
しかし、事故前の記憶は、今もまだ戻っていない。もともとの自分には戻れていない。はた目からは、大きなものを喪失してしまったようにも見えてしまう。しかし、当人は次のように語る。
「事故に遭って最初のころは、言葉もわからないし、思う通りに体も動かない。早く元の自分に戻りたいと、すごく焦っていました。ですが、新たにたくさんの人から、おいしさや面白さや感動やっていうのを教えられて、たくさんの友だちができました。その結果、18年前の過去に戻るより、新たな自分の人生を大事にしていきたいなと思っています」
すべてがゼロの状態になっても、人間は生き直すことができるのかもしれない。文字通り、人の間にある限りは。
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