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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム >  パンドラ映画館  > 令和の時代に改めて見る『東京裁判』
深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.542

大川周明の被告席での奇行はすべて狂言だった? 4時間半の超弩級ドキュメンタリー『東京裁判』

シリアスな裁判の貴重なギャグシーン?

マッカーサーの意向を汲む形で審議は進められた。インド代表のパル判事ら少数派の意見が法廷で読み上げられることはなかった。

 太平洋戦争勃発時の首相・内相・陸相を兼任した東條英機は、米軍が逮捕に向かった際、拳銃自殺を図った。だが、米軍側は懸命な治療を施す。裁判でその罪を問うために、簡単には死なせるわけにはいかなかった。米兵の大量の献血によって、血液の半分を失っていた東條は一命を取り留める。死刑を覚悟していた東條は、以降は昭和天皇の戦争責任が問われないための闘いを法廷で演じる。一方、マッカーサーから「天皇は裁判に呼ばない」という指示を受けていた米国人のキーナン検事と、天皇の戦争責任を法廷で明らかにしたかったオーストラリア人のウェッブ裁判長とが、水面下で激しく火花を散らす。

 映画『東京裁判』の法廷初日シーンでとりわけ有名になったのは、民間人で唯一の被告となった思想家・大川周明が、被告席前列にいた東條の頭頂部をぴしゃりと平手で叩く場面だ。しかも、このときの大川はパジャマ姿だった。東條は振り返りながら、苦笑いを浮かべる。シリアスな『東京裁判』の中の貴重なギャグシーンだ。退席を命じられた大川は、梅毒による脳性麻痺と診断される。「狂気によるものであるか、狂言であるのか」という名優・佐藤慶のナレーションが流れるが、免責処分となった大川はその後、コーランの日本語全訳を入院先の精神病院で成し遂げた。法廷での奇行は狂言だったことは明白だ。A級戦犯として神格化されることよりも、東京裁判の茶番さを明るみにすることを選んだ、大川なりの抵抗だったに違いない。

 そもそも被告人が28人だったのは、法廷の被告席に椅子が28脚しか並ばなかったから、という噓のような通説もある。28人という数字には意味はなかった。裁判の妨げになる大川はあっさりと除外され、公判中に病没した松岡洋右、永野修身を除く全被告25名が有期刑となった。その内、東條ら7名に死刑判決が下される。

 見せしめとしての意味合いが最も強かったのは、文官(政治家)としてただ一人極刑を言い渡された元首相・広田弘毅だろう。三国同盟締結時の首相・近衛文麿が「法廷で裁かれることに耐えられない」と服毒死を遂げていたことから、その代役に広田は選ばれた感が強かった。好戦派ではなく、戦時中も和平の道を探っていた広田には全国から減刑嘆願書が届いたが、絞首刑の判決が覆されることはなかった。死刑宣告が告げられた際、広田が傍聴席最前列で見守っていた2人の娘へ別れの目線を無言で投げ掛ける瞬間が忘れがたい。

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