エイズは政府が投与した……計算高き天才か、素の天然か? カニエ・ウェスト”情弱”的論考
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――今やヒップホップ・シーンのみならず、セレブリティ界隈でも一挙手一投足が話題になる、ご存じカニエ・ウェスト。音楽プロデューサーからキャリアをスタートさせ、ラッパーとしてデビューした彼の言動を振り返りながら、果たして「天才」なのか「情弱」なのかを徹底分析!(月刊サイゾー19年5月号『情弱ビジネスのカラクリ』より)
「400年間、奴隷だったって言われてるけど……400年だよ。自ら選択したんじゃないかな。そんな状態のままで400年、みんなそろってだよ。それって精神的に監獄に入ってるのと同じだよね」 ――この黒人奴隷制度に関するカニエ・ウェストの発言が、たちまち世界中を駆けめぐったのは2018年4月のこと。いくらなんでも、自分から好き好んで奴隷を選ぶ人間がどこにいるというのか。カニエは頭がおかしくなってしまったのか……等々、すぐさま世界中から多くの非難を浴びたのは記憶に新しい。
これだけでも十分に問題発言である。だが、この発言に文脈を与えてしまうような前段があり、彼は数日前のツイッターで次のようにツイートしていた。
「あなたたちがトランプに同意する必要はない。ただ、みんなからどんなに責められても、私のトランプへの好意は消えない。私たちは2人ともドラゴン・エナジー。彼は自分にとっての兄弟分。みんなのことは好きだ。自分は誰かの行動すべてに同意はしない。それでこそ個人というものが成り立つわけだから。それに各々の考えを持つ権利が、我々にはある」
この“ドラゴン・エナジー”とは、創造や力のエキスのことである。それ以上にわかりやすいのは、ツイートと一緒にトランプのモットー「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」(アメリカ合衆国を再び偉大な国にしよう)の文言入りの赤いキャップ(通称「MAGAハット」)をかぶった自撮りが含まれていたことだろう。これらの言動がつながっているとしたら、「カニエはトランプ支持者なのか。だから奴隷制度は奴隷側が間違っているみたいなこと言ってるのか!」という理解が世の中に広まってもおかしくない。
さらにさかのぼれば、16年11月にカリフォルニア州サンノゼで行われたライブでは、ステージから「自分は投票しなかったけど、していたとしたら、ドナルド・トランプに投票していただろう」と語りかけ、その翌月にはトランプ・タワーを訪れ、2人は15分にわたり会談したのだった。これらからわかるのは、カニエはメインストリームで活躍中の彼以外の多くのラップ・アーティストとは異なり、トランプ大統領にまったく嫌悪を抱いていないことだ。19年現在、多くの人がカニエ・ウェストに対して抱くイメージは、「エゴの強い、ナルシシスティックなセレブ」というものだろう。言うまでもなく、トランプは大統領になる前からセレブだった。そんな世界が認めるセレブでもあるカニエだが、無名時代から今とまるっきり同じだった、というわけではない。彼が最初に音楽業界と接点を持ったのは、音楽プロデューサーとしてだ。簡単に彼の音楽キャリアをおさらいしておこう。
通常は33回転でプレイするレコードを45回転で再生すると、聴こえてくる歌声は高く早口になり、風変わりな印象を残す。このアイデアをサンプリングとして取り入れたビートが、カニエのプロデューサーとしてのシグニチャー・サウンドとなる。これが時期にして03年前後。そんな彼をプロデューサーとして本格的に起用したのが、かのジェイ・Zだった。「ピンク色のシャツを着ているヤツ」というのがジェイ・Zのカニエへの第一印象だったという。どこまでが明確に意図されたものなのかわからないが、人の印象に強く残る部分をキャリアの最初期から持ち合わせていたことになる。
こうして、まずはプロデューサーとして音楽業界に食い込むことができたカニエは、ジェイ・Zのレーベル〈ロカフェラ〉と契約を交わし、03年にはラッパーとしてメジャーデビュー。自らプロデュースを手掛け、シグニチャー・サウンドに彩られてラップするデビュー作『The College Dropout』(04年)は大ヒットを記録。ラッパーとしても成功を収め、自分の言葉や主張を獲得した彼は、冒頭に挙げたような問題発言の主としての片鱗を見せ始めるようになる。
「知ってるよ 政府がエイズを投与している/俺たちは祈るのみ 牧師のように」――マルーン5のボーカル、アダム・レヴィーンをフィーチャーした05年のシングル「Heard ’Em Say」でカニエはこうラップしている。つまり、エイズにまつわるもっとも有名な陰謀論に与しているのだ。しかも、これは一時の気の迷いなどではない。同年、貧困とエイズへの認識を高めることを目的に開催されたコンサート・ツアーにおいて、彼は「人間が作り出した病気が……アフリカに仕掛けられた。ブラック・パンサーの分裂を目的に、ブラック・コミュニティにクラックが仕掛けられたようなものだ」と観客に語りかけたのだ。こうなるとさすがに「おい、カニエ、ヤバくないか」と考えるのが筋だろう。翌年06年に「ローリング・ストーン」誌は、「本当にそう信じているのか?」と、改めてカニエに問うと、「エイズは黒人とゲイを殺す目的で作り出されたものだ」と語ったのだった。
■未来を予知した情強発言? 空気を読めない情弱行為?
カニエを骨抜きの情弱にしてしまった張本人! と思われている節があるが、「カニエはカニエよ」と、亭主の3歩後ろを歩く発言をするキム・カーダシアン。
しかし、これらの理由だけで、カニエのことを「陰謀論好きな情報弱者である」とは決められないだろう。すでに05年に、このエイズ陰謀論容認発言よりも圧倒的に大きな規模で報じられる発言を、彼は公の場で残している。それは、甚大な被害を残したハリケーン・カトリーナ襲来後の復興支援チャリティ番組生放送中のことで、「ジョージ・ブッシュは黒人のことは気にかけていない」とサラリと言いのけたのだ。番組側が慌てふためいたのは言うまでもない。もちろん、それが正論だからだ。と同時に、当時のカニエは、たとえ陰謀論であっても、なにより黒人の側に立った見解を完全に支持する立場に自分を置いていた。しかし、そうだとするなら、後の「自分から奴隷でいるのを選んでいた」発言は余計に矛盾することになる。この間、カニエの意識を大きく変えるような重大な出来事が起きたのだろうか? 彼のアーティスト担当であったユニバーサルミュージック合同会社の柴田壯一郎氏に話を聞いた。
「気の毒な話ですが、母親であるドンダ・ウェストが亡くなったことが、彼を大きく変えたのではないでしょうか。母親の大規模な整形手術(脂肪吸引)の費用を全額カニエが負担し、翌日合併症で死亡した事件です。母親はシカゴ州立大学英語学部の学部長を務めるほどの人でしたが、カニエのデビュー後は職を捨て、彼のパーソナルマネージャーとして息子を支えることに従事しました。過去にカニエが来日したタイミングで母親と共に滞在先のホテルで話す機会があったのですが、『母親を三鷹の森ジブリ美術館に連れて行きたい』と話していて、本当に母親思いのアーティストだったことを記憶しています(※しかし、結局美術館は予約待ちで入館することはできなかったようだ)」
母親であるドンダが亡くなったのは、07年11月。「母親の死をきっかけに、それまで陽だったイメージが“陰”に変化した。例えば、アルバムでいえば『Late Registration』(05年)や『Graduation』(07年)は陽のイメージですが、以降のアルバム作品は陰のイメージが払拭できていないような気がします」と、柴田氏は続ける。さらに追い打ちをかけるように、ガールフレンドとの別れが08年のアルバム『808s & Heartbreak』を生み出すことになった。ほかにも「ビヨンセこそ授賞に値するアーティストだ!」と宣言したい一心で、「MTVビデオ・ミュージック・アワード」の授賞式で、テイラー・スウィフト受賞の瞬間にステージに乱入したのは、09年9月のことだ。
こうしたネガティブな流れを、少しでもポジティブな流れに変えるきっかけとなったのが、12年に明らかとなったキム・カーダシアンとの交際だった。2人の出会いは04年までさかのぼり、とあるパーティに出席していたことがきっかけといわれている。その後も逢瀬を重ね、カニエはシングル「Cold」(12年)のリリックで、キムとの交際を公にしたのだ。「パリス・ヒルトンの友達」程度の認知度でしかなかった彼女が一躍時の人となったのは、08年の「セックステープ流出事件」であることは、以前の本誌でも紹介済みだが、カニエとキムが結ばれたことで、実際にどのような変化が起きたのか?
「音楽的才能のあるカニエがキムを妻にしたことで、キムをエンタメ界が認める方向に進み、キム・ワナビーみたいな白人たちが有名黒人男性を物色する“Get Out”現象みたいなトレンドができたと感じています。08年前後までは、まだキムやカーダシアン・ファミリーは“エンタメ業界の徒花”といった感じだったので、あれぐらいの距離感だったらまだよかったんですが、アメリカでは付き合うのと結婚するのはまったくの別物ですからね」
こう語るのは、アメリカのエンタメ事情に詳しい音楽ジャーナリスト/翻訳家の押野素子氏だ。押野氏が述べた「キム・ワナビーのような白人が有名黒人男性を物色する現象」に絡めて言えば、逆に「有名黒人男性が勝手に近づいてきて盛り上げてくれた」トランプとしては、想定外のことだっただろう。そんなカニエがキムと婚約したのは13年10月だったが、いま思えばこの年に「黒人差別の象徴」である南軍旗(南北戦争における「南部白人の誇り」)をあしらったジャケットを作り、物議を醸したこともあった。
「カニエは政治に詳しくないのにトランプを支持しているのは、単に価値観が合い、お互い金持ちという共通項ぐらいの感覚で、トランプの政策には興味を持っていないかと思います。加えて、『黒人だからこうしなきゃいけない』というルールに縛られるのが嫌いなタイプと思われている節も多い。では、ハリケーン・カトリーナのときのブッシュ発言をした意識高い系の気概はどこに? と思う方もいるでしょうが、たぶんあの時はカニエが本当にそう思ったから口に出しただけで、基本的に感情で動く人なのではないかなと思います」(押野氏)
冒頭で挙げた言動やツイートに対するリアクションの中には、単純にカニエを忌避するものも多かった。が、同時に(我々が愛してきた)カニエがトランプを支持するはずがない、悪いのはカニエではない――。そんな思いを大前提にした“陰謀論”がいくつか生まれた。その中でもっとも広く拡散されたのが、“パフォーマンス・アート説”だ。これはカニエがこれまでツイートしてきた現代アートの作品やアーティストを関連づけて、丁寧に読み解いていくと、「すべて(の言動)はパフォーマンス・アートの一環である」とする見方。次に広まったのが、「今、我々が目にしているのは、それまでのカニエ・ウェストではなく、クローンに違いない」というポスト・ヒューマンな類の陰謀論である。例えば、トランプを称賛したり、恩人であるジェイ・Z&ビヨンセ夫妻を公然と非難したり、些細なことかもしれないが、突然髪をブロンドに染めた行為など。16年にカニエ自身の精神状態が悪化し、24時間の監視下に置かれたことや、体調不良で倒れ緊急搬送入院によってライブを急遽中止したことも、この陰謀論に拍車をかけた。
いずれにしても、自分の理想とする(ココがミソ!)カニエへの絶対的な愛がない限り、こうした陰謀論も湧いて出てこない。こうして陰謀論の種を蒔いたカニエではあるが、18年8月に地元シカゴのラジオ番組に出演し、奴隷制度における軽率な発言、並びにMAGAハットをかぶったことへの影響について謝罪するに至った。その上で「トランプは黒人が自分のことをどう思っているのか気にかけ、黒人に好かれたいとも思っている。彼は実現が必要であれば実際に行っていくだろう。ほかの誰もと同じように彼にもエゴがあり、最強の大統領になりたがっている。そして、ブラック・コミュニティからの支持もなければ、最強の大統領になれないこともわかっている」と話した。
とにかく、カニエはトランプを嫌いになれないことだけは確かなようだ。その証拠に、同年10月には再びホワイトハウスにトランプを訪ね、「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」と書かれた言葉をカニエ流にデザインし直した、オリジナルのMAGAハットをトランプとイヴァンカらに贈っている。
■計算高き天才か、天然の情弱なのか
カニエがトランプ・ファミリーにMAGAハットをプレゼントした翌月、妻であるキムは「カニエはトランプのパーソナリティが気に入っただけで、政治についてはわかっていない」と述べた。さらに、キムとカニエの間に娘・ノースが生まれたとき、病院で知り合ったというブレット・イーストン・エリス(『アメリカン・サイコ』で知られる作家)は、カニエの言動に対して取り巻くメディアへ次のような見解を述べている。
「メディアはカニエを小馬鹿にするような態度を取り、『ドラッグをやっている』と決めつけている。確かに要領を得ないところはあるが、カニエが言おうとしていたことはアホでもない限り理解できるのに、そうやってバイアスを感染させていた。メディアは『カニエはドラッグ乱用に対する治療が必要』と持っていきたかったのだ。そして、奴隷発言とトランプ支持で、彼は二度とキャリアを取り戻すことはできず終焉を迎える、とメディア同士がコンセンサスを取っていた」
そして次の発言は、キムが述べた最新の言葉だ。「カニエは常にカニエであって、私が変えるつもりはまったくない。だって、それが私の愛したカニエなのだから。私が変えられるわけがない」――カニエ・ウェストという愛すべき情弱は、やはり全世界を巻き込む天才なのかもしれない。
カニエ・ウェスト●1977年、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のアーティスト/プロデューサー/デザイナー。妻はリアリティ番組『カーダシアン家のお騒がせセレブライフ』でもおなじみのキム・カーダシアン(左肩)。これまでにアーティスト、プロデューサーとして数多くのグラミー授賞歴を持つ。と同時に、トランプ大統領(右ヒザ)への賛辞をはじめとする、数多くの問題発言、行動を起こしてしまう愛すべきキャラとして確固たる地位を築いている。左足にくっつているのはカニエのマスコットキャラ、ドロップアウト・ベア。
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