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本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」

吉本興業がコンプライアンス徹底を誓うも、上方漫才協会初代会長・中田カウスの処遇に問題は?

吉本興業東京本社

 相次ぐ所属タレントの“反社勢力への闇営業問題”に揺れ、コンプライアンスの徹底を誓った「決意表明」を発表した吉本興業。今月3日には専門チームを立ち上げ、反社勢力を完全排除するため、7月中に2000人規模での面談を実施するというが、在阪のお笑い関係者からは、「元凶である中田カウスを排除しなければ、問題の解決にはならないだろう」という声が上がっている。

 吉本興業ホールディングスの大崎洋会長は、騒動を受けての会見で「(会社を)非上場とし、反社会勢力の人たちには出て行ってもらった。関わった役員や先輩も追い出し、この10年やってきたつもりがこのざまだ」と謝罪した。

 “出て行ってもらった”人とは、以前から暴力団と“黒い交際”の噂があった漫才師「コメディNo.1」の前田五郎のことだと思うが、前田以上に暴力団と密接な関係があったカウスをなぜ処分しなかったのか、筆者も不思議でならない。

 カウスが五代目山口組の故・渡辺芳則組長と昵懇の仲だったことは、ビートたけしから聞いていた筆者だが、そのことが公になったのは、2007年1月に勃発した吉本創業家と現経営陣の“お家騒動”だった。

 創業家当主だった故・林マサさんの夫で吉本の社長だった婿養子の故・林裕章さんは、生前、女性関係や金銭トラブルといったスキャンダルが絶えなかったが、五代目の名前をチラつかせてトラブル処理に奔走したのがカウスだった。

 カウスはその功績を買われて吉本の特別顧問に就任したが、05年、裕章さんが会長就任からわずか5カ月で急死。その後、経営権を握った吉野伊佐男前会長や当時副社長だった大崎氏らが創業家と対立し、双方が週刊誌にそれぞれの“黒い関係”を暴露するという“お家騒動”に発展した。

 口火を切った「週刊現代」(講談社)の「吉本興業副社長”暴脅迫事件”一部始終」では、大崎氏が山口組系の男にホテルに呼び出され、元会長の子息の役員就任を要求されたと告発。これを受けて、マサさんが「週刊新潮」(新潮社)誌上で反論。手記「”吉本興業”は怪芸人『中田カウス』に潰される!」で、カウスが山口組との交流をチラつかせて経営にまで口を出し、「吉本最大のタブー」になっていると暴露したのだ。

 “黒い交際”を暴露されたことで、特別顧問の肩書を外されたカウスだったが、しかし、なぜか現経営陣はそれ以上の処分は見送った。その後、吉本の元会長・中邨秀雄氏に持ち上がった横領疑惑では、それをネタに、カウスが中邨氏を恐喝した疑惑が浮上。大阪府警から事情聴取まで受けたが、にもかかわらず、吉本はそれも不問に付したのだ。

 なんとも不可解な対応だが、そんなカウスにとって、“目の上のたんこぶ”だったのが司会者として頭角を現していた島田紳助だった。最初、カウスは紳助を味方につけようと五代目を紹介したが、紳助が五代目からもらった時計を返したことで「俺の顔を潰す気か!」と激怒。04年に紳助が女性マネジャーへの暴行事件で謹慎した際には、“紳助潰し”を画策した。もっとも、このときはその翌年に五代目が引退したことで後ろ盾を失い、失敗。その後は掌返しで紳助にすり寄るも、虎視眈々と紳助潰しを狙っていたという。

 その紳助は、お家騒動から4年が経過した11年夏、暴力団との“黒い交際”で電撃引退したが、早くから吉本の上層部に紳助の引退を進言していたカウスに、紳助は「(カウスに)嵌められた」と漏らしていたという。

 そうして紳助より暴力団とズブズブの関係だったにもかかわらず、吉本内で生き残り、権勢を振るっているカウスだが、14年には、吉本が中心になって設立した「上方漫才協会」の初代会長に就任。吉本の芸人たちはカウスの存在に怯えているという。

 そんなカウスを優遇する上層部が、芸人たちと面談して反社との完全排除を呼びかけても説得力があるわけがない。本当にコンプライアンスを徹底するのであれば、まず“怪芸人”の処遇を検討することが先決だと思うのだが。

最終更新:2019/07/12 12:00
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