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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > Mattは美しいのか?
テレビウォッチャー・飲用てれびの「テレビ日記」

「Matt=美しい」はお茶の間の潜在意識?

Matt インスタグラムより

テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(6月23~29日)見たテレビの気になる発言をピックアップします

Matt「昨日マネキン屋さん見たら、自分がいっぱいいるって思って」

 美しい顔とはどんな顔か? 万人が一致する基準はないだろうけれど、少なくとも今のテレビの中で、顔が「小さい」ことは重要な条件のひとつになっていると思う。

 で、2019年7月現在、テレビの中で顔の「小ささ」を最もよく指摘されているのは、おそらく乃木坂46の齋藤飛鳥だろう。26日の『テレ東音楽祭2019』(テレビ東京系)で齋藤は、その顔の小ささを際立たせるためにマスクを渡されていた。普通の人なら口元だけを覆うはずのマスクが、齋藤の場合は顔面全体を覆ってしまう。それほどまでに「小さい」顔ということで、客席からも驚きの声が上がった。司会の国分太一も目を見張る。

「顔小さいっすねー」

 もちろん、顔の大小にかかわらず、齋藤の顔立ちは整っていると思う。ただ、人によって評価にバラつきがある「整っている」に比べて、「小さい」は誰にとってもわかりやすい。顔の「美しさ」を話題にする際に「小ささ」が用いられやすいのは、そんな共通理解の得やすさがあるのかもしれない。「小さい」ことはイコール「美しい」ことではないのだけれど、より多くの人が一致する「小さい」という評価を、ひとまず「美しい」の代わりに使っている、というか。たとえるなら、オムライスの「おいしさ」を表現するとき、感覚的にわかりやすい「ふわとろ」というワードが採用されがちなのに似ているだろうか。

 顔の「美しさ」を示すわかりやすい指標には、ほかにも「肌が白い」とか、「目が大きい」とかがある。それらのポイントを強調した顔をテレビで披露しているのが、元プロ野球選手の桑田真澄の息子、Mattだ。数年前からテレビに少しずつ出ていたけれど、ここ最近、急に出演頻度が増えているという印象がある。

 先週もMattを複数の番組で見た。たとえば、24日の『有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議』(TBS系)。番組冒頭から、Mattは共演者にその顔の白さやマネキンのような造形を指摘されていた。平野レミも目を見開いてその顔を凝視する。で、番組中盤には、Matt自身こう話しだす。

「昨日マネキン屋さん見たら、自分がいっぱいいるって思って」

 あるいは、28日の『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)。上沼恵美子やIKKOが、Mattの肌の白さや毛穴のなさに驚いていた。また、Mattは周囲から寄せられる整形の疑いをきっぱりと否定。次のように語った。

「小さいころから絵を描いてたので、自分の顔をキャンバスだと思って、いつも3時間かけてメイクしてるんで」

 どんな顔が美しい顔なのか? その問いに、万人が納得する答えを出すことは難しい。Mattも3時間かけて、キャンバスに自分なりの「美しさ」を表現しているのだと思う。ただ、顔の「小ささ」と同じように、「肌の白さ」なども「美しさ」それ自体ではなくて、あくまでもわかりやすさを優先して代わりに使われている基準のはず。そこを取り違えると、やっぱりちょっと奇妙なことになるように思う。オムライスの「おいしさ」を表現する際に「ふわとろ」という言葉が使われがちだからといって、「ふわとろ」を究極にまで突き詰めれば、「おいしい」オムライスができるというわけではないだろう。

 さて、父親の桑田は息子をどう思っているのだろうか? ただ、すでにMattは大人。親があれこれ口を出す年齢ではない、とも言える。親は親、子は子。本人の好きなように人生を歩めばよい。それもまた、ひとつの理想的な親子の関係だ。

 しかし、『人生イロイロ超会議』に、こんなシーンがあった。平野レミと一緒に料理をしていたMattは、食材を切るように頼まれた。それまでフライパンで料理を炒めたり、お皿を片付けたりしていたMattだが、次のように言って包丁を持つことだけは拒んだ。

「僕、お父さんに『切っちゃダメ』って言われてて」

 そこなのか。そこは親としてストップをかけるのか。

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