『カニバ』佐川一政の実弟が、加害者家族の実情を告白!!
#映画 #インタビュー
加害者家族が幸せになることは許されない?
1981年6月、テレビのニュースがパリで起きた事件を伝え、佐川家の生活は一変した。マスコミに追われた父親は会社を退職することに。その頃、大手広告代理店に勤めていた純さんは2カ月間休職し 、母親と共に九州で 嵐が過ぎ去るのを待ったという。
「ありがたいことに、職場のみんなは励ましてくれ、2カ月後に復職したときも温かく受け入れてくれたんです。僕がいないときは、マスコミの対応もうまくやってくれました。ただし、父はそれまで勤めていた会社を辞めることになりました。心労もあったんだと思いますが、それからしばらくして脳梗塞で倒れ、母はその介護疲れで心の病気になりました。両親は1日違いで亡くなり、一緒に葬式をすることになったんです。ネットでは母は自殺したことになっている? 誰がそんなことを書くんでしょうか。事実とは違います。母は悪性の肺炎で亡くなりました。葬式は父のいた会社の社葬という形で行われ、兄は表には出ていません。兄は控室でモニターを見ながら手を合わせていたんです」
両親だけでなく、弟である純さんの人生も大きく変わった。ストレスから、1年間ほどぜんそくを患ったという。また、純さんは結婚することなく、今も独身生活を送っている。
「両親が心配して、一度お見合いをしたことがあります。先方は家族を自殺で亡くしていたそうです。僕は結婚してもいいかなと思ったんですが、食事の席で僕がエビフライの尻尾を残したところ、同席していた先方の親戚が『尻尾を残すような男に姪っ子を嫁にやるわけにはいかない』と言いだし、こちらの親戚と口論になってしまったんです(苦笑)。そんなこともあり、こちらから断りを入れると、とても怒っていました。断られることはないと思っていたんでしょうね。
その後、僕はオーケストラをやっていたので、オーケストラ仲間から同じように楽器をやっている女性を紹介され、お付き合いしたことがあります。女性の両親は僕と交際していることを知って『まぁ、いいんじゃないの』と容認してくれていたんですが、いざ女性が本気で結婚したいと両親に伝えたところ、『生まれてきた子どもは、父親の兄が事件を起こしたことを言われるかもしれない。子どもがかわいそうだ』と言われたんです。そう言われたら、僕はもうどうすることもできません。あきらめるしかなかった。その後、2人ほど好意を持った女性がいました。後で説明するのは面倒なので、最初に兄のことを話すと、それでもう終わりですね」
それまでは淡々と語っていた純さんだが、この体験はとてもナイーブなものだったようで、目尻をぬぐう仕草を見せた。取り返しのつかない罪を犯した家族を持った人間の痛みと苦しみが伝わってくる。
「秋葉原通り魔事件の加害者の弟さんは、自分の将来を悲観して自殺したそうですね。でも、それはあまりにもひとりで考えすぎたんじゃないでしょうか。僕の場合は兄が事件を起こした直後、励ましてくれた人がいました。『兄は兄、君は君。人格が違うんだから、人生も違うんだよ。だから、元気に生きるんだよ』と。僕も思うんです。兄が事件を起こす前に、僕に相談してくれていればと。そうすれば、もしかしたらあの事件は防ぐことができたんじゃないかと」
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