トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > その他 > ウーマン・ウェジー  > 「引きこもり」への偏見を増幅させる報道続く
【wezzy】

元農水次官の長男殺害を「立派だ」と賞賛…「引きこもりは悪魔の予備軍」と偏見を増幅させる報道続く

 今月1日、同居する44歳の長男を包丁で刺し殺害したとして逮捕された、元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者。長男はその日、隣接する小学校で開かれていた運動会の音に腹を立て、熊沢容疑者と口論になったという。

 警視庁の取調べに対して容疑者は「川崎市の20人殺傷事件が頭に浮かび、息子が周囲に危害を加えないようにしようと思った」という主旨の供述をしていることもわかった。川崎市登戸の殺傷事件では、引きこもりであったとされる岩崎隆一容疑者が私立カリタス学園に通う児童を中心に殺傷。熊沢容疑者の長男も無職、引きこもり状態だったと伝えられている。

 熊沢容疑者の長男はしばらく一人暮らしをしていたが、5月下旬に実家へ戻ってきたばかりだったようだ。以前から長男は家庭内暴力を振るっており、熊沢容疑者の体にも複数のアザがあったという。

 この事件を受けて、SNSでは容疑者への同情や賛辞が増え続けている。「正当防衛にしてほしい」「容疑者は長男の凶行を防ぎ、罪のない小学生を守った」「親としての責任を果たして立派」「“ひとりで死ね”の実践だ」等の声が、信じられないほど多いのだ。

 その背景には、家庭内の問題をどう解決して良いのかわからない、行政など公的支援を頼りに出来ないという不安感が横たわっている側面もあるだろう。だが、自分の息子であったとしてもその命は親のものではなく、奪ってよいわけがない。殺人が唯一の解決法になり得る社会の側にこそ問題がある。

 「社会に迷惑をかける人間は処分すべき」とでもいうような殺人の正当化は、2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件のような優生思想までも肯定する社会に導いてしまいかねない。

 また、「引きこもりは危険因子」と決め付ける、慎重さを欠いた報道も続いている。登戸で凶行に及んだ岩崎容疑者は自ら命を絶っており、事件の詳しい動機はわかっていない。テレビ報道では連日のように犯人の動機を探っているが、特に強調されているのは岩崎容疑者が「引きこもり」であったという点だ。

 

『ひるおび』では「引きこもりは悪魔の予備軍」
 先月31日放送の『ひるおび』(TBS系)では、引きこもりを「悪魔の予備軍」と表現し、犯人の伯父・伯母の責任を問う場面があった。コメンテーターの立川志らくは、岩崎隆一容疑者が伯父伯母に育てられたという話になると、<育てた伯父伯母は高齢なので責任を問うのは酷だが><もっと早く何とかできた、こういうモンスターを作り上げる前に、小遣いを顔も見ずに与えてた、どんどん甘やかしてたわけでしょ、それがこういう恐ろしい人をこしらえてしまった>と発言。

 日本女子体育大学教授の溝口紀子氏は<ひきこもりの高齢者が61万人もいて、全部が悪魔になるとは思わないが、予備軍になっちゃうような人が、もしかしたらいるかもしれない>と、引きこもりは“悪魔の予備軍”になる可能性があると述べたのだ。

 さらに、今月2日の『ワイドショー』(フジテレビ系)で川崎殺傷事件を取り上げた際、松本人志は「引きこもり=不良品」ともとれる発言をした。

<僕は人間が生まれてくるなかでどうしても不良品っていうのは何万個に一個(ある)。これは絶対に僕はしょうがないと思うんですよね。それを何十万個、何百万個にひとつぐらいに減らすことはできるのかなっていう、みんなの努力で。まあ、正直、こういう人たちはいますから絶対数、もうその人たち同士でやりあってほしいっすけどね>

 なお、この発言について本人はツイッターで<ひきこもりが不良品と言ったのではなく、凶悪犯罪者は人として不良品と言った>と弁解している。

 しかし当然のことながら、61万人の「引きこもり」全員が犯罪を起こすわけではない。また、家庭や自室にこもる人々を「引きこもり」とひとまとめにすることも問題があるだろう。引きこもりになった原因や生活環境、心境は個々によって異なるからだ。「引きこもりは犯罪を起こす」「引きこもりは悪者」という偏見を広める報道は、事件の予防になるどころか、引きこもっている当事者やその家族を追い詰める。

 メディアが本当に伝えるべきことは、偏見を助長する感情論ではないはず。たとえば、家庭内の問題を家族だけで解決しようとせず、公に助けを求めることは何ら恥ずかしいことではないと積極的に伝えるだけでも違うのではないか。第三者機関の相談窓口、適切な医療の介入、解決事例、家族と離別して立ち直る方法など、いくらでも伝えるべきことはある。厄介な人間をこの社会から除去する動きではなく、そうした「人間を生かすための取り組み」こそ議論の価値がある。

最終更新:2019/06/05 07:15
ページ上部へ戻る

配給映画