「人気者なのに孤独……」マツコ・デラックスは東京の縮図?
#野村克也 #マツコ・デラックス #船越英一郎 #テレビ日記
マツコ・デラックス「(マツコが)本名みたいな感覚なんだよね、もう今」
街は偶然の出会いを演出する。そんな街は、人から名前を奪う場所でもある。今からコンビニに買い物に行くとして、路上ですれ違った人たちや、店内で出会った客の名前を、僕はひとりも知らないだろう。見えているのに、わからない。ある程度の大きさの街であれば、人はみなそこで匿名になる。
そんなどこかで聞いた話を、27日放送の『5時に夢中!』(TOKYO MX)を見ていて思い出した。マツコ・デラックスが、自分の名前についてこんなことを話していたからだ。
「アタシはもうほとんど……そうね、99.9%、『マツコ』か『マツコさん』かで呼ばれるじゃん。なんかね……なんていうんだろう、これが本名みたいな感覚なんだよね、もう今。たまに公的な場所とか行くとさ、本名で呼ばれるじゃない。『バカじゃない?』って思うの。自分で自分のことをね」
マツコがテレビで活躍し始めたのは2000年代の後半から。10年ほどで、その名前は全国津々浦々、老若男女に知れ渡った。かつて『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で日本の著名人の知名度ランキングが作られた際、マツコは7位、知名度は93.9%。これは、笑福亭鶴瓶(知名度93.0%)の上、黒柳徹子(同94.1%)の下である。
そんなマツコは言うのだ。「マツコ」という芸名は、すでに自分の感覚では本名のようになっている。本名を公的な場所で呼ばれると、自分で自分のことを「バカじゃない?」と思ってしまう、と。
つまり、マツコは本名でいるときのほうが、匿名になっている。この逆説。東京で生きるマツコには、誰もが本名を持ちながらも匿名になってしまう都市の本質が、濃縮されているかのようだ。さまざまな知識(情報)や食べ物(欲望)を内に抱えた大きな体が、東京の縮図としての印象をさらに強くする。名前も知らない青森出身の女子大学生と“テキーラババア”の出会いもまた、そんなマツコの番組内で起きた。
マツコには、ほかの著名人とは大きく違う点がある。プライベートの姿をほとんどの人が知らないし、想像も難しいことだ。ゴシップ写真などで「素顔」を目にする機会はあるかもしれない。けれど、プライベートを過ごす実物を街で見かけて「マツコだ!」とすぐに気づくかというと、難しいところだろう。これが鶴瓶や徹子なら、多くの人が気づく。
ほとんど誰からも芸名を知られたその人は、ほとんど誰からも本名を呼ばれることがない。姿を認知されることもない。そして数少ない本名で呼ばれる機会も、本人からして違和感を覚えてしまっている。体から本名が、剥離してゆく。
マツコはよく、こんなことを口にする。
「いま仕事しか生きがいないから。だからたぶん、いま神輿に担がれてる状態が終わって、パーンって突き飛ばされて、地べたに転がったら、みんなからボコボコに蹴られて、そのときに初めて『あぁ私は孤独なんだ』って、やっとホントに認識できるんだと思うのよ」(『行列のできる法律相談所』日本テレビ系、2015年4月12日)
テレビの外に、マツコはいない。テレビの外にいるのは、名もなき大きな人だ。マツコがテレビで幾度も口にする自身の孤独。僕などがその孤独を理解できるわけではないけれど、巨大な街のどこかにいるその人の深い孤独のほんの一端を、ひとりの都市生活者として垣間見た気がした。
(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)
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