業田良家・石塚真一・浅野いにおが絶賛した気鋭の漫画家が描く「世界との出会い方」
#本 #未来はいつも分からない
詩や言葉と出会い、世界と出会っていく
世界との出会いは、風景でも人でもなく、詩であることもある。斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(福音書店)は、ある男の子とおじさんの対話の物語だ。その中で、いくつもの詩が引用される。詩の紹介本という体裁をとりながらも、子どもが詩や言葉と出会い、世界と出会っていく素晴らしい作品となっている。リフレインや比喩、オノマトペなど詩の技術も柔らかく分かりやすく提示される。例えば、比喩についてはこう語られる。
「ことばは、げんじつでは、むすびつかないものを、むすびつけることができる。それを、ひゆっていうね」
「でも、なんのために、そんなことする?」
「なんていうんだろう。そのままだと、きえていってしまうものを、すくいだすというか」
現実では結びつかない言葉と言葉を結びつける比喩によって、消えてしまうかもしれないものに新たな意味が生まれ、新たな世界を立ち上げることができる。そして、その新たな景色と出会うことができる。
ほかにも、オノマトペの説明では萩原朔太郎の「猫」という詩が引用され、「おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ」という猫の鳴き声を読んだ男の子は、それを怖いと言う。おじさんはこう語る。
「怖いのは、たぶん、ふだんのことばが、生まれるまえの、なまのげんじつに、向かい合ってしまうから」
子どもはこう答える。
「ものや、いきものが、とつぜん、話してきたかんじがする。にんげんじゃない、ことばで、こわいけど、そうおもうと、楽しい」
言葉になる前の、意味になる前の音に出会うことのできる喜びは、詩の醍醐味だ。意味が分からなくたっていい、言葉になる以前にだって世界は存在し、詩によって私たちはそんな世界と出会うことができる。
『コスモス』も『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』も、子どもが中心にいるわけだが、大人のまなざしもしっかりと描かれる。子どもと出会うことによって、大人もまた世界と出会い直すのだ。私たちの世界は複雑で、分からないことばかりだ。けれども、だからこそ、何度でも世界と出会い、その喜びも悲しみも味わいことができるのだ。
●ミワリョウスケ
1994年生まれ。生活のこと、面白かった映画や演劇、ラジオなどについてブログを書いている。日記をまとめた本の販売も行っている。好きな食べ物はうなぎ。http://miwa0524.hatenablog.com/
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