業田良家・石塚真一・浅野いにおが絶賛した気鋭の漫画家が描く「世界との出会い方」
#本 #未来はいつも分からない
自転車にまたがり、踏み切りが開くのを待つ数分間、ふと目の前の景色がとんでもないと気づくことがある。踏み切りのランプの赤い点滅、発光する矢印、風でしなる黒と黄色のバー、電車が通り過ぎる時に見え隠れする向こう側で待つ車や自転車のライト、遠くに見えるアパートの窓から漏れる光。電車が通り過ぎる音、風の音、話し声。そして、そこで待つたくさんの人々。踏切が開くのを待つ時に目にしたその光景は、異なるさまざまな要素が重なってひとつになっていた。その時、私は、世界と出会ったと思った。いま目の前には、たしかな実感としての世界がある。ありふれた景色の中で世界と出会ったのだ。グッと視界が広がり、霧が晴れたかのようだった。
世界との出会い方は、さまざまだ。それは、風景ではなく人でもいい。光用千春『コスモス』(イースト・プレス)にこんなセリフがある。
<やだなあお父さん音楽聴くとか歌うとか
やだなあそんなのお父さんは「お父さん」でしょ
父親である前に一人の人間であるなんて
好きなもの嫌いなものがあるなんて思いたくない>
『コスモス』は、母親が家を出て行くところから物語が始まり、その後の小学生の娘と父親の生活が描かれる。娘の花は、父親と2人で生活していくことによって、それまで見えていた父親とは別の父親の顔を垣間見るようになる。父親という普遍化された存在ではなく、もっと多面的で一人の人間だと理解していく。父親だけでなく、学校の友人たちの自分とは異なる考え方にも触れるようになる。どうしたって分かり合えない人がいることも知る。それは、世界と出会うことだ。多様な人がいて、その中にもまた多様な考えがある。そんな異なるものが重なり合っていることを知りながら私たちは成長していく。世界を受け入れていく。こんなセリフもある。
<大人だって間違える>
子どもからすると、大人がすべて正しいように見えることがある。けれども、大人にだって悩みがあり、苦しみがある。それはもちろん、子どもも同じだ。大人も子どもも、一人一人が抱えるものは別個に複雑なのだ。『コスモス』という作品は、花という主人公を中心に据えながらも、非常にフラットなまなざしで一人一人の気持ちを掬い上げ、この世界を捉えている。
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