たらちねの母が語る初恋の思い出と戦争体験……平成の終わりに問う『誰がために憲法はある』
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井上監督「母には聞けなかったことを渡辺さんに求めていた」
本作を撮った井上淳一監督は、門脇麦、井浦新らが熱演した実録映画『止められるか、俺たちを』(18)の脚本家として知られる。『止められるか、俺たちを』は井上監督の師にあたる若松孝二監督の若き日を描いた青春映画だった。『止め俺』は若松監督の“父性”に惹かれた若者たちの物語でもあったが、今回の『誰がために憲法はある』は“母性”を強く感じさせるものとなっている。
1965年生まれの井上監督にとって、渡辺美佐子はまさに母親世代。まったくの偶然だが、井上監督の母親と渡辺美佐子は同年同日生まれだそうだ。戦争を知らない若い世代に向けて反戦メッセージを伝えようとする“もう一人の母”に、自称“不肖の息子”がカメラを回しながら寄り添うことで完成したドキュメンタリーだと言えるだろう。
井上淳一「若松監督は僕にとって師匠以上父親未満の存在でした。若松さんは福島原発事故を題材にした映画の企画を考えていましたが、2012年に交通事故で亡くなってしまった。僕が監督したドキュメンタリー映画『大地を受け継ぐ』(16)は僕なりに若松さんの遺志を形にしたものです。若松さんが今も生きていたら、憲法改正を強引に進めようとする現政権を皮肉った映画もきっと企画したはず。そんなことを考えていたときに、松元ヒロさんが憲法を擬人化して演じている一人芝居『憲法くん』を知ったんです。恥ずかしい話ですが、若い頃は“憲法とは国家権力を縛るためにある”ということを知りませんでした。『憲法くん』はそういう憲法の基本のキの字を分かりやすく伝えています。これならば、届かない人にも届くのではないかと映画にすることにしました。映画版は戦争を体験している高齢の俳優のほうが、よりリアリティーが出せるだろうと考えたところ、渡辺美佐子さんが出演をOKしてくれました。上映時間12分の短編映画として『憲法くん』の撮影をしているときに、渡辺さんの初恋のエピソードを知り、ドキュメンタリーパートを加えることで『誰がために憲法はある』ができました。いろんな繋がりがあって完成した映画です」
2019年で最後となる渡辺美佐子たち「夏の会」の公演の様子を追ったドキュメンタリーパートは、2018年6月の広島で撮影された。折しも、西日本大豪雨と重なり、日色たちがインタビューに応えるシーンの背景には大粒の雨で曇って見える原爆ドームが窓ガラス越しに映っている。大豪雨によって撮影日数を短縮せざるをえなかったそうだが、井上監督は撮影のことだけでなく、もうひとつ気に病むことがあった。その頃、井上監督の実の母親は末期がんを患い、愛知県の実家で闘病中だった。
井上淳一「余命宣告されていたこともあり心の準備はしていたのですが、渡辺さんたちをカメラで追いながらも、どこかで母のことが気になっていた部分はあったと思います。母は2018年8月に亡くなったのですが、最期の2週間は母にずっと付き添いました。亡くなる前の母は、子どもの頃のことをよく話しました。『お父さんに会いたい』としきりに言うので、僕の父のことかなと思ったら、祖父のことでした。子どもの頃の記憶は鮮明に残っていたようです。母は三重県桑名市育ちなので、軍港のあった桑名で空襲も体験していたはずですが、そのことは口にしませんでした。僕の母だけでなく、つらい過去は話したくないという戦争体験者は多いと思います。そんな母には聞けなかったことを、誕生日が同じ“もう一人の母”である渡辺さんに求めていたのかもしれませんね」
ドキュメンタリーパートの後半、渡辺美佐子の初恋の男の子“水瀧くん”の本名を我々も知ることになる。そのとき、広島に投下された原爆による犠牲者数14万人という数字が、ひとりの人間の命の重みへと変わる。
映画の最後、憲法くんに扮した渡辺美佐子は憲法の前文を、スクリーンを見つめている観客に向かって朗々と語りかける。この国の主権は国民にあることを明記した憲法くんを、毅然とした表情で演じるたらちねの母。“母性”とは優しさや温かさだけではなく、そこにはたくましさや痛み、苦み、哀しみといった多くのものが内包されていた。
(文=長野辰次)
『誰がために憲法はある』
監督/井上淳一 『憲法くん』作/松元ヒロ 音楽/PANTA
撮影/蔦井孝洋、土屋武史、髙間賢治、向山英司
出演/渡辺美佐子、高田敏江、寺田路恵、大原ますみ、岩本多代、日色ともゑ、長内美那子、柳川慶子、山口果林、大橋芳枝
配給/太秦 4月27日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
(C)「誰がために憲法はある」製作運動体
http://www.tagatame-kenpou.com
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