たらちねの母が語る初恋の思い出と戦争体験……平成の終わりに問う『誰がために憲法はある』
#映画 #パンドラ映画館
母が元気なときに、もっといろんな話を聞いておけばよかった。多感な少女時代に戦争を体験し、戦後の混乱期を過ごした母親たちは、いったいどんな想いで大人になり、子どもを育てたのだろうか。親孝行する機会もなくこの世を去った親のことを考えると、胸がチクリとする。渡辺美佐子主演のドキュメンタリー映画『誰がために憲法はある』は、そんな世代が共感を覚えるものとなっている。
渡辺美佐子は1932年生まれ、俳優座出身の大ベテラン女優だ。1970~80年代は『ムー』『ムー一族』『赤い疑惑』(どれもTBS系)などの人気ドラマで母親役を演じることが多かった。黄金期のテレビドラマを観て育った世代にとっては、いわば“日本の母”のような存在だ。そんな渡辺美佐子が85歳を過ぎ、自身の少女時代を振り返り、子や孫の世代に伝えなくてはならない大切なメッセージをスクリーン上からこちらに向けて、せつせつと語りかけてくる。
渡辺美佐子が語る初恋の思い出が、このドキュメンタリーの核となっている。都内の小学校に通っていた少女時代、気になるひとりの同級生がいた。その男の子は登校時の通学路で、渡辺美佐子が現われるのをいつも待っていた。当時は男の子と女の子が親しく言葉を交わすこともなく、ただ一緒に学校に向かうだけの関係だった。手を繋ぐことすらなかったが、彼女にとってそれは淡い初恋の記憶だった。
多くのテレビドラマや映画に出演し、人気女優となった渡辺美佐子は、1980年に『小川宏ショー』(フジテレビ系)の名物コーナー“ご対面”に出演。このとき渡辺美佐子が再会を願ったのは、小学校時代のあの初恋の男の子だった。お互いにおばさん、おじさんになった今なら、いろんな思い出を語り合うこともできるんじゃないかと番組出演したものの、生放送中に意外な事実を知ることになる。
渡辺美佐子は男の子の名前をきちんと覚えておらず、“水瀧くん”と曖昧に記憶していた少年は、終戦直前に広島へと疎開していた。そして1945年8月6日に広島に投下された原爆により、爆心地にいた広島二中の生徒321人と教員4人と共に消滅していたのだ。遺体の一部も遺品もまったく見つからなかったという。“水瀧くん”の代わりに番組に出演した“水瀧くん”の両親からそのことを聞かされ、渡辺美佐子のその後の人生は大きく変わっていく。
85年から全国を巡回する朗読劇『この子たちの夏』に参加し、2008年からは新劇系の女優仲間と共に「夏の会」を結成、『夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ一九四五』として公演を続けてきた。転校して別れたきりとなっていた“水瀧くん”や同年代の少年少女たちは、どんな想いで運命の日を過ごしたのかを舞台上で再現している。「夏の会」のメンバーは、『3年B組金八先生』(TBS系)で鶴見辰吾の母親を演じた高田敏江、海外ドラマ『大草原の小さな家』(NHK総合)でお母さんの声を長年吹き替えてきた日色ともゑ、『十年愛』(TBS系)での姑役が印象に残る岩本多代ら、母親役で馴染みのある女優たちが多い。舞台という表現の場で“母親”たちが反戦を訴えて闘う姿を、このドキュメンタリー映画は記録している。
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