ぜんじろうって「そもそも誰?」の声も……東京進出失敗の理由はなんだったのか
#お笑い #太田光 #ぜんじろう
爆笑問題の太田光とぜんじろうが芸歴をめぐって論争を繰り広げている。きっかけはピエール瀧のコカイン逮捕を受けて、ぜんじろうがツイッターに記した内容を『サンデー・ジャポン』(TBS系)で取り上げた際に、太田が「ぜんじろう」と呼び捨てにしたことである。これを受けぜんじろうはツイッターで「後輩の太田くん」と反論し、これに太田が激怒。「どちらが先輩か」で論争を繰り広げている。
だがネット上では「そもそも、ぜんじろうって誰?」「太田は知ってるけど相手がわからないからつまらない」といった声が聞かれる。ぜんじろうは現在は主に海外を中心に活躍しており、全国区のテレビ出演の機会も少ないため、若い世代にとってはなじみがなさそうだ。
「ぜんじろうは1987年に上岡龍太郎に弟子入り。その後、コンビ結成と解散を経て90年代はじめに東京進出を果たします。この時の売り出し文句は、新世代のお笑い系MCといったもので、ポスト明石家さんま的な役割を期待されていたといえるでしょう。島田紳助や、やしきたかじんなど大物司会者からも気に入られていました」(業界関係者)
事務所の後押しもあって全盛期のぜんじろうは若くして17本のレギュラーを持つ。だが、ブレークは長く続かなかった。
「ぜんじろうは『関西の大型新人』といった触れ込みで東京進出を果たすも、東京の番組スタッフがどう使えばいいのかわからなかったようですね。ぜんじろう自身が気難しい人物でもあり、スタッフとの軋轢もあったようです。さらに、ついたマネージャーは新人、吉本興業も本格的な東京進出直後とあって、バックアップ体制も整っていませんでした。やがてぜんじろうは人間不信、業界不信に陥り、結果、レギュラー番組を次々と失います。98年に一念発起、単身渡米し英語をイチからマスターし、スタンダップコメディアンとなりました」(同)
ぜんじろうが東京でもがいていた90年代はじめは、爆笑問題は事務所からの独立騒動で仕事がなかった時期でもある。その後は、吉本からは後輩芸人のナインティナインやロンドンブーツ1号2号がブレークを果たす。『ボキャブラ天国』や『めちゃイケ』(共にフジテレビ系)が幼少期のお笑いの記憶にある世代にとっては、ぜんじろうをまったく知らなくても仕方ないだろう。
(文=平田宏利)
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事