平成の終わりに花柳幻舟【後編】
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
■前編はこちら
幻舟に「テロリスト」としての情熱を吹き込んだのは間違いなく彼女の人生である。旅芸人の父と共に生きた幼少期、幻舟は差別と不条理とを理屈ではなく、自らの血肉にして学んだ。
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旅回り先で生まれた私は、「旅役者、河原乞食」とからかわれ、行く先々で疎外されてきました。
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今となっては、これもまた歴史の彼方に消えてしまいつつあるが、かつて日本列島のあちこちには、放浪する人々がいた。今日はあっちの町に、それから数日を過ぎれば向こうの町へと。土地に居着かぬ旅芸人を、娯楽に飢えた土地の人々は歓迎すれども、決して心の底から受け入れることはない。
どの本を読んでも、その幼少期の記憶が形を変えて幾度も触れられているところをみると、幻舟の人間としての軸は、そうした体験にあるのは間違いない。でも、そうした虐げられた恨みが幻舟の軸というのは、いささか違うと思う。それよりも幻舟を形作ったのは、芸に生きる父親の背中であったのだと思う。なんらかの強大なものと戦うことにのみ、人生を費やそうとしたのではない。芸を通じて命を燃やす方法。その独特の芸風の表出が家元襲撃であり、爆竹テロだったのであろう。
幻舟の本は数多あるけれども、表面に記されたイデオロギーを額面通りに読んでは読み解けない。それは、読者サービスである。『はだしのゲン』を描いた中沢啓治は、初期は「週刊少年ジャンプ」(集英社)の読者に合わせて、ドキツク、下品に原爆の惨状と庶民の生き様を描いた。後年、共産党系の雑誌に連載が移行してからは急に日本の戦争責任問題を挿入されている。それと同じようなものなのだ。
さて、家元襲撃から4年後の1984年、テレビドラマ『花柳幻舟獄中記』がテレビ朝日系列で放送された。主演は本人である。事件の当事者が本人役を演じるなんてことは、果たして今の時代に可能だろうか。昭和から平成へとなり、最後の10年あまりの間に、勢いを失った世情は、極めて窮屈なものになった。かつては、舞台の上にいる時には称讃され、それ以外の時には蔑まれていた芸を生業にする人たちにも、一般民衆と同じ尺度でモノを見て語る機会が与えられ、それが「常識」となった。
いったい、いつの時点で世の中は「常識」を変えたのだろう。記憶をたどれば90年代はそうじゃなかった。90年代には数々の「悪趣味」が礼賛され、さまざまな文化が生まれていたのを覚えている。ところが、平成の終わりになって、その当事者たちも含めて皆、口を揃えて「あれは、間違いだったのだ」と反省の言葉を口走るようになっている。
先日から、ピエール瀧はあたかも存在を抹殺されたかのような扱いを受けている。一部には、それに対する批判はあるものの、瀧を擁護するような論調はどこにもない。かつて勝新太郎が「パンツに……」といって、世間もまあしようがないなとなったようなムードはどこにもない。世間が、そんなムードになることがあるとすれば、物故した人物に対してだけである。
余裕がなく普遍的な価値観が当たり前かのような窮屈さの中で平成は終わろうとしている。平成が終わるのではない。昭和から連綿と続いてきた戦後の終止符が、これなのだ。
もはや、日本も衰退は避けられないような雰囲気に包まれ、重苦しい。でも、それだからこそ、みんなどこかで願っているはずだ。
理屈をこねくりまわすのではなく、情念のままに自分だけをベースにして、世を騒がせる人の登場を。
爆竹ではない、新たな形で。
(文=昼間たかし)
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