映画やTVドラマでよく見るおじさん俳優の素顔!! 川瀬陽太は演技だけでなく、トークも味わい深い
#映画 #インタビュー #川瀬陽太
失うものがないという強み
──いまおか監督は林由美香主演作『たまもの』(04)など珠玉のピンク映画を生み出してきた才人。長い付き合いになるそうですね。
川瀬 瀬々監督のボスに向井寛さんという監督兼プロデューサーがいたんですが、向井さんがやっていた「獅子プロダクション」で僕が仕事をするようになった頃、いまおか監督が助監督から監督になったんです。いまおか監督の監督デビュー2作目『痴漢電車 感じるイボイボ』(96)に僕も出ています。そこから20数年間の付き合いですね。いまおか監督がデビュー作『彗星まち』(95)を撮ったとき、上の世代が「ミトコンドリアが風邪をひいたみたいな映画を撮りやがって」と評していたんです。それを聞いて、「うまいこと言うなぁ」と(笑)。それで、「俺はそんなミトコンドリアが風邪をひいたみたいな映画を観たい」と思ったんです。いまおか監督は神代辰巳監督に憧れ、助監督をやっていました。いまおか監督も登場キャラクターたちを突き放して描くことが多いんですが、そのキャラクターたちがもがく姿がいいんです。いまおか監督は基本的にネガティブなことは描かない。ネガティブなことは起きるけれど、みんな幸せになってほしいと願いながら撮っている監督だと思うんです。
──そんな世界に、社会からドロップアウトしたおじさん役の川瀬さんはよく似合うわけですね。
川瀬 なんで、みんな俺のことを社会からドロップアウトさせたがるんでしょうか。こんな、ええとこの坊を捕まえて(笑)。僕はこう見えてもインテリ家族のもとで育ったんですよ(※お父さんは理系の大学講師)。まぁ、ピンク映画から僕のキャリアは始まったわけで、真っ裸からのスタートでした。失うものは何もありませんし、ストレスも感じません。
発見された原始人!?
──殺人犯などの犯罪者役を演じていても、観客は川瀬さんにどこか人のよさを感じてしまうのかもしれません。
川瀬 そうだといいですね。実はゴリゴリにハードな役はあまり得意ではないんです。「やれ」と言われればやりますが、個人的には本当の悪人はいないと思っています。加虐側の人間を演じるときは、そいつがそうなったのには何か理由があったんじゃないかと考えるんです。みんな幸せになりたいのに、その方法が分からずにそんなことになっちゃうわけです。ゼロ年代あたりは理解不能なモンスター的なキャラを描く作品が多くて、そんな役にけっこう呼ばれましたが、これからの若い監督には「俺はただの書き割りじゃねぇんだからな」と、その監督のためになればと思って言うこともありました。
──『こえをきかせて』ではヒロインの渡辺万美とテレフォンセックスならぬテレパシーセックスするシーンが印象に残ります。
川瀬 いいシーンですよね。台本を読みながら、いちばんおもろいシーンだなと思いました。カメラの前で一人でおっぱいを揉むマネを延々と続けるわけです。すっごいアホな絵ですよ。いまおか監督は「アホやなぁ」と笑いながら撮っている。やらされる身になってみろと(笑)。でも、僕はベタな泣かせるシーンで泣いたことがないんです。どこか、滑稽な姿のほうが胸が熱くなる。本人が一生懸命な分だけ、おかしみも生じるし、観ている人にも伝わるんじゃないかと思うんです。
──川瀬さん演じる精肉屋の安春は、ハルカ(渡辺万美)の心の叫びが聴こえてしまう。SFの世界でなくても、ありうる話じゃないかなと思うんです。
川瀬 そうかもしれませんね。俺の体験談で言うと、20代の頃は携帯電話を持っていませんでしたが、友達の電話番号を4~5件は覚えていました。待ち合わせで、30分くらいは普通に待っていましたよね。それって、相手のことを察している、相手のことを考えているからだと思うんです。今は友達の電話番号を覚えなくなったし、相手が5分遅れただけで携帯電話に連絡を入れますよね。ひと昔前までは、実はテレパシーみたいなすごいことを交わし合っていたのかもしれません。いろんな人のことを想いながら暮らしていたんじゃないのかなと思うんです。この業界の先輩でも「あの人はなんで他人の気持ちが分かるんだろう」と驚かせられる人がいました。人の心の機微が分かるパイセンたちがいたこの業界は、僕が好きな世界でもあったんです。
──デジタル化が進む現代社会に抗うように生きているんですね。
川瀬 ははは、原始人みたいな役が多いんですよ。僕は昔からやっていることは変わらないんです。ここに来て、みなさんに気づいてもらえた。「原始人、発見!」みたいな感じじゃないですか(笑)
40代になれば何とかなる
──フリーランスの俳優として、四半世紀を過ごしてきたわけですよね。
川瀬 数年間だけ事務所に入っていたことはありますが、辞めてからもう10数年になりますね。今は仕事がありますが、それは単価が安いからでしょう。銀行口座の残高はちっとも増えません(苦笑)。伊藤猛って先輩俳優がいたんですが、「30代はつらいぞ。40代になれば何とかなる」と言われていました。本当、30代は地獄でした。数カ月間、電話がまったく鳴らないんです。気が狂いそうになりました。40代になって少しずつ仕事が来るようになったんです。伊藤猛さんの予言したとおりでした。そう言った伊藤猛さんは52歳で亡くなったんですけどね。40歳を過ぎると、役者仲間たちがこの仕事を辞めていったり、それこそ亡くなったりして、その分だけ仕事が回るようになってきた。それもあって、余計にこの仕事を辞めることができずにいるんです。『anone』など地上波のテレビドラマに出るようになって、女優業を辞めて地方に引っ込んだ知り合いの女性から「がんばってるね」とLNEが来たときは、ちょっと泣きそうになりました。何だか『北の国から』(フジテレビ系)みたいなだなって。
──業界を去っていった、いろんな人たちの声が聴こえてきたんですね。それこそ『こえをきかせて』の安春のように。
川瀬 そうですね。こんな俺でも、ほんの少しは誰かを励ます足しにはなっているのかなぁって。でも、基本的にはあまり考え込むタイプではありません(笑)。
──多忙すぎて、現場をダブルブッキングしたことはありませんか?
川瀬 今のところはありません。昔は助監督の下のほうだったのが、長いことやっているとチーフ助監督になっていたりするんです。撮影日が被ってしまったときは、両作品のチーフ助監督同士が知り合いだったりして、うまくスケジュールをずらしてもらったりしました。そういうことができるようになったのも、40歳過ぎてからです。恥ずかしながら、食べていけるようになったのも40歳になってから。小さい現場も大きな現場も関係なく、声を掛けてもらえるようになった。「あ~、ここが俺の職場かもしれないな」と思えるようになりましたね。
──今や名バイプレイヤーに。
川瀬 その言葉も違和感あるんです(苦笑)。光石研さんや松重豊さんがバイブレイヤーなら、俺なんか路傍の石ですよ。『シン・ゴジラ』で共演した大杉漣さんとは少し面識がありましたが、現場でご一緒したことはありません。でも、大杉さんもそうですし、蛍雪次朗さんもピンク映画から一般映画にも出るようになった。勝手に繋がりを感じています。ピンク映画は予算も人数も少なく、そこからスタッフと一緒にキャリアを重ねていくことができた。そのことが自分にとってはベースになっているし、ありがたいなと思っているんです。自分がどこまでやれるのかは分かりません。体調管理なんて、インフルエンザに罹らないように気をつけているぐらいです。でも、20代でピークが来なくてよかった。こんな劣化したおじさんになってから、仕事が来るようになったわけですから。これでいいんだ、よかったなと思っています(笑)。
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