気鋭のアーティストを積極的に起用し、名曲を続々リリース! 平成J-POP史におけるSMAPの功績
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で、彼らはたくさんのいい曲をどんどん世に出していった。「しようよ」や「俺たちに明日はある」も良かった。さっきの「KANSHAして」、それに「青いイナズマ」が素晴らしかったので、その後、作曲者である林田健司のライヴに行ったこともある。
「SHAKE」や「ダイナマイト」もダンサブル路線の秀逸作。「ダイナマイト」なんて、歌の中で誰かの声が裏返ったりしているのに、そこもイキにしているところには彼らの勢いと自信すら感じる。
それからSMAPの制作スタッフは、作家ばかりではなく、気鋭のソングライターを起用する姿勢も優れていた。山崎まさよしの「セロリ」なんてその最たるものだ。スガシカオが作詞、川村結花が作曲をした「夜空ノムコウ」も同じく。そう、ファンキーさが裏テーマのはずのSMAPが、そうした音が得意なスガに、この曲では詞を依頼したのだ。そして<あれからぼくたちは>から始まる詞は、SMAPのメンバーたちも徐々に大人になっていく事実を感じさせてくれた。初期の曲では、笑顔や友情などを唄っていたのに……。このことは彼らの歌に親しんできたファンも、感じ入るものが少なからずあったのではないだろうか。
ほかに、99年のシングル「Fly」の作曲はマグースイムというバンドの野戸久嗣が手がけている。当時、小さなライヴハウスで彼らの歌を聴いていた身にとって、こうした大抜擢には本当にビックリした。ミディアム・テンポの渋いファンク・サウンドで、下敷きになっているのはスライ&ザ・ファミリー・ストーンだろう。また、だいぶあとになるが、2013年の「Joy!」は赤い公園の津野米咲が書いたりと、SMAPは制作面でそうした着眼点も優れていた。仮にコンペの結果であったとしても、だ。
大人の年齢になっていった彼らはこのあとも「世界に一つだけの花」をはじめ、「らいおんハート」「ありがとう」など、名曲をたくさん出していった。そしてそれに国民の多くが親近感を抱いていたと思う。
で、僕がここまで彼らを評価してきた事柄について、もしかしたら違和感を持つ人もいるかもしれない。そんなん普通じゃん? とか、当たり前のことじゃないの? みたいなふうに思う人もいるんじゃないかと。
けど、これらのことの多くには、かなりの部分をSMAPがトライし、チャレンジを重ね、開拓し、そこから世間のスタンダードになったことも多いのだ。彼らの成果がその後のアイドルやポップスの先駆となったことはたくさんあって、その影響には無視できないほどの大きさがあるはずである。
最後に、ちょっと蛇足かもしれないが、SMAPがいかに親しまれていたかを痛感した話を紹介しておく。
ご存じの通り、このグループの長い歩みの間にはいろいろあって、メンバーが世間的によろしくない行為をしたこともある。その中で、酔っぱらいすぎて、公園で服を脱ぎ、「裸で何が悪い!」と叫んだ騒ぎがあったのを覚えてる人も多いだろう。まあ草なぎ剛なのだが。
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