アジアン旋風を巻き起こす〈88rising〉世界戦略の真実
――アメリカをはじめ世界の音楽市場で、アジアにルーツを持つラッパーやシンガーを続々とバズらせている〈88rising〉というレーベル/YouTubeチャンネル。その日本公演があった1月、CEOのショーン・ミヤシロを直撃し、アジアン旋風を巻き起こした背景、そして日本についても話を聞いた。
〈88rising〉東京公演におけるハイヤー・ブラザーズのライブ。「WeChat」(中国版LINEともいわれる「微信」の英語名)という曲でアジアの若い客たちが熱狂していた。
1月10日、お台場のライブハウスZepp Tokyo。そこで行われていたのは、アメリカの音楽レーベルであり、クルーであり、YouTubeチャンネルでもある〈88rising〉の初の日本公演だ。リッチ・ブライアンやハイヤー・ブラザーズといった所属アーティストのエネルギッシュなライブには大いに魅了されたが、なによりバラエティ豊かな客層に驚かされ、そして戸惑いを感じたのだった――。
公演はまず、その後のアーティストのライブでバックDJも務めていたドン・クレズによる、2018年の米ヒップホップのヒット・チューン・メドレーというべきDJプレイでスタート。すると、シャイな日本人客だけでは考えられないほど、客が各曲のフック(サビ)を大合唱していたのである。ただし、こうした光景は、例えばLAの人気ラッパー、タイラー・ザ・クリエイターの来日公演でも見られたものではあった。なぜなら、日本に住む欧米の観客が多く集まるからである。しかし、この日、中国は 成都出身のラップ・グループであるハイヤー・ブラザーズのライブが始まり、メンバーが中国語で観客をあおると、ドン・クレズのDJの際と同じくらいか、それ以上の勢いでフロアから中国語のレスポンスがあったのだ。
そう、フロアを埋めていたのは欧米のキッズではなく、中国をはじめとしたアジア圏の国々出身の10代・20代とおぼしき観客たち。彼らは思い思いの服装をしていたが、アメリカのラッパーなどが発信源となっているストリート・ファッションの最先端モードを共有しており、華やかな空気を醸し出していた。そんな若者たちでごったがえすフロアに身を置くと、前からは中国語、後ろからは韓国語が聞こえ、日本ではないどこかにいるようにさえ感じてしまった。
いや、中国や韓国からの観光客、コンビニで働くベトナム人実習生など、街中にもアジアの人々はすでにたくさんいるではないか、という意見があるかもしれない。だが、いわゆる嫌中・韓ムードが依然として漂い、日本において彼らはどこか殺伐とした視線を浴びせられている。そんな状況に比して、この日は〈88rising〉の音楽を通じてピースフルな“アジア”の一体感が生みだされていたのだ。
インドネシアの少年がラップする動画の衝撃
〈88rising〉を率いるCEOのショーン・ミヤシロは日系アメリカ人。英語での取材となった。
では、〈88rising〉とは一体なんなのか――。そんな疑問を持つ本誌読者も多いことだろう。そもそもそれは、アメリカの人気メディア「VICE」のダンス・ミュージック専門サイト「Thump」を運営していた日系アメリカ人のショーン・ミヤシロによって2015年に設立された。当初は〈CXSHXNLY〉という名で韓国系アメリカ人ラッパーのダムファウンデッドやオケイションなどのマネジメントを行っていたが、ミヤシロは“すべての移民のため”のミュージック・コレクティブをつくるために立ち上げたという。〈CXSHXNLY〉は16年に新たにYouTubeチャンネルとして〈88rising〉をスタートし、自身がかかわるアーティストに限らず多種多様なジャンルのビデオをアップするようになった。
そして、一気に〈88rising〉に注目が集まるきっかけとなった動画がYouTubeに上がる。それが、今回も来日していたリッチ・ブライアン(当時の名義はリッチ・チガ)が自主制作したミュージック・ビデオ(以下、MV)「Dat $tick」(16年)だ。これまでヒップホップのイメージがまったくなかったインドネシア人の当時16歳の少年が、ピンクのポロシャツに半ズボン、ウェストポーチという姿で、ヒップホップのトレンドであるアグレッシブなトラップ・ビートに乗せて、「Man, I don’t give a fuck about a mothafuckin’ po(警察なんてクソくらえだ)」とアメリカのギャングのごとくラップする――。こうした何重もの“想定外”をはらんだ動画は世界中に驚きを与えた。
バックステージでライブに備えるハイヤー・ブラザーズ(上)、リッチ・ブライアン(右下)、オーガスト08(左下)。
〈88rising〉はこのMVにいち早く目をつけ、アメリカの有名ラッパーたちにそれを見せて感想を述べてもらう、いわゆるリアクション・ビデオを制作。強面のラッパーたちがコミカルにしか見えないリッチ・ブライアンの姿に本気で興奮し、賞賛するそのビデオが後押しとなり、「Dat $tick」のバズはさらに膨張した。こうして本国のラッパーしかなかなか受け入れないアメリカのヒップホップ界にも届き、MVの再生回数は現在までに1億回を超えている。さらに、〈88rising〉はリアクション・ビデオに登場したベテラン・ラッパー、ゴーストフェイス・キラーらをフィーチャーした「Dat $tick」のリミックス・バージョンMVまでスピーディにつくり上げ、世界中の音楽業界から注目を浴びることになったのだ。
この経験をもとに、ミヤシロ率いる〈88rising〉は、多種多様なビデオをアップするよりも、アジア圏のアーティストを発掘するという方向性をより強く打ち出していくことになる。中国一のヒップホップ都市といわれる成都出身のハイヤー・ブラザーズや、大阪で生まれた日本とアメリカのハーフで、18歳で渡米してからYouTuberのFilthy Frankとして人気を得ていたJojiなどを、次々とアメリカのアーバン・ミュージック・シーンに送り込んでいった。その後も、インドネシアのNIKIや、アフリカン・アメリカンでありながらLAのコリアンタウン出身のシンガーであるオーガスト08などがレーベルに参加。昨年に至っては、Jojiのデビュー・アルバム『Ballads 1』が、アジア人で史上初となるビルボードR&B/ヒップホップ・チャートの1位を獲得するなど、その勢力を着実に拡大している。
アジアのヒップホップが米国で認められにくい理由
今回の日本公演に出演し、〈88rising〉アメリカ・ツアーにも帯同した日本人ラッパーのKOHH。
ライブの前日に話を聞くことができたミヤシロは、この4年間について「手当たり次第とりあえずやってみようという姿勢で始めたけど、成功するにつれて〈88rising〉をより良くしていきたいという責任感が生まれてきた」と振り返る。
つまり、当初から“アジア”を強く打ち出すという今の形を想定していたわけではないのだが、“成功”のきっかけとなったリッチ・ブライアンについて次のように話す。
「『Dat $tick』はいい曲だったけど、アメリカ人にはジョークみたいに感じてしまった部分もあったんだ。ラッパーのリアクション・ビデオがあって、その後にリリースした『Glow Like Dat』(17年)でようやくちゃんと評価されたと思う」
なるほど、いかにもアジア人/アジア系に見えるリッチ・ブライアンがアメリカのギャングのようなリリックを歌う「Dat $tick」は、「俺たちの文化をバカにしてるのか?」とアフリカン・アメリカンの反発を招くこともあった。一方で、「Glow Like Dat」では等身大の少年らしい恋心をラップし、それによってアーティストとして正当に評価されたのである。
この背景として、アメリカにおける人種の問題にも着目しなければならない。例えば17年、インド系のラッパーNAVが「アフリカン・アメリカンのラッパーだけでなく、自分たちもNワードを使用する権利がある」と発言した際、大きな批判を受けた。というのも、“ニガ”などのNワードは、アメリカの奴隷制度時代に白人が黒人を蔑視する意味で用いた言葉がルーツにあり、現代ではアフリカン・アメリカンだけが使う俗語であって、それ以外の人種が使うのはタブーだからだ。このような人種間の複雑な関係性があることもあって、アジア人/アジア系のアーティストがアメリカのヒップホップというゲームの内部には存在しないとみなされる風潮は根強い。
「アジアのヒップホップがアメリカでうまく受け入れられるのは、本当に難しいことなんだ。どれだけラップや曲が良くても、アジアというだけでほかの人種から叩かれたりするしね」
だからこそ、アメリカのヒップホップ・シーンに風穴を開けた〈88rising〉は、アジアの本国にいる者以上にアメリカに住むアジア系移民に対して、大きくてポジティブなインパクトを与えたのではないだろうか。
さらに、そんな〈88rising〉に限らず、アメリカではさまざまなジャンルでアジアン旋風が巻き起こっている。周知の通り18年、K-POPの防弾少年団(BTS)がビルボード・アルバム・チャートで1位を獲得した。BLACKPINKも彼らに続く存在として認知を高めている。また、同年、主要キャストにアジア系の俳優だけを起用した映画『クレイジー・リッチ!』(原題『Crazy Rich Asians』)が、全米で異例の大ヒットを記録した。
「あの映画はとても重要だと思っているんだ。アジア系の観客の動員があったことで、全米規模のヒットにつながったんだからね」
K-POPについては「〈88rising〉とは方向性が違う音楽」と述べつつも、ミヤシロは各領域で自身のレーベルと同期したような動きが起きていることを歓迎しているようだった。
新しいアジアの波に乗れずにいる日本
リッチ・ブライアンのヒットにより、〈88rising〉は世界的に注目されるように。
以上のようにアメリカではアジアン・ムーブメントが一定の広がりを見せているわけだが、そんな中で日本の音楽はどのような立ち位置にいるのか? 〈88rising〉ともっとも密接な関係にある日本人アーティストといえば、今回の日本公演に出演し、昨夏アメリカでの〈88rising〉ツアーにも帯同したラッパーのKOHHということで間違いないだろう。
「彼はロック・スターみたいな存在だ。だけど、誠実だし、賢くて優しいし、人間的にすごく優れている。だから誰でもKOHHのようになれるわけじゃない」
ミヤシロがこのように絶賛するKOHHは、2010年代に頭角を現した天才R&Bシンガー、フランク・オーシャンの楽曲「Nikes」(16年)に参加したことがある。
「フランク・オーシャンが認めたアーティストってことは、“ただのイケてるヤツ”じゃなくて、“かなりイケてるヤツ”なんだよ」
ハイヤー・ブラザーズのライブ中のMCで、メンバーのMaSiWeiが中国語でフロアに語りかけると、中国語の歓声が上がった。
しかし、KOHHのほかにミヤシロから挙がった日本人アーティストの名前は、宇多田ヒカルだけだった。とはいえ、「具体的な名前は覚えていないけど、日本には心に刺さるアーティストがたくさんいる」と話し、日本の音楽のリサーチを怠っているわけではなさそうだ。「たまたま聴いてイイなと思った音楽を拾っていくのが俺のスタイル」と述べるように、これまで発掘してきたアーティストたちとの出会いで構築された網の中で、たまたまKOHH以外の日本人アーティストに出くわす機会が少なかったのかもしれない。
なお、KOHHといえば、韓国人ラッパーであるキース・エイプのMV「It G Ma」(15年/その後、キース・エイプは〈88rising〉に所属)にフィーチャリングで参加し、このMVがバイラル・ヒットしたことで、アメリカをはじめ海外のヒップホップ・シーンで名前が知られるようになった。ミヤシロは「KOHHは俺たちのコミュニティにいたから、発掘することができた」と話すが、“俺たちのコミュニティ”とは要するにアメリカのヒップホップ界のことだろう。〈88rising〉はまさに、グローバルなポップスの中心地となっているそのシーンと、アジア系のコミュニティをつなげるような存在にフォーカスしてきたことで、新しい場所を獲得できた。しかし、このスペースに日本人アーティストは入っていっているのだろうか――。冒頭で述べた〈88rising〉のライブで感じた戸惑いとは、“新しいアジア”を観ることができた単純な喜びと、そこから“日本”がすっと抜け落ちてしまっているかもしれないという不安が入り混じったものだったのだ。
もっとも、日本の音楽業界は長らく自国のマーケットばかりに目を向けてきた。そのため、それぞれのキャラクター性を生かしながらも、グローバルな音楽トレンドを消化/昇華している〈88rising〉の面々のような若いアーティストが登場しづらいのかもしれない。しかし、〈88rising〉の日本公演により、“新しいアジア”の波を強烈に認識させられたアーティストや業界関係者、リスナーは少なからずいるだろう。この波を追うにせよ、もしくはまったく別の角度から独自の道を歩むにせよ、アジア各国やその先に広がるグローバルなシーンを音楽活動の視野に入れる者は徐々に増えていくのではないか。そして、いつか日本の多くのアーティストが今回のライブのような光景を生みだす日が訪れるかもしれない。
(取材・文/和田哲郎)
(写真/西村 満)
和田哲郎(わだ・てつろう)
編集者、ライター。ヒップホップをはじめとした音楽やファッションなど、世界の最先端カルチャーに関するニュースを配信するウェブメディア「FNMNL(フェノメナル)」を運営。wardaa名義でDJとしても活動。
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