【今夜最終回!】NHKドラマ『トクサツガガガ』が描き出すオタクの悦楽
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一つの結論としては、「距離を置く」ことだ。親族の冠婚葬祭や、必要最小限のやりとり。それ以外は、長くコミュニケーションすることを避けたほうが良い。ある程度、円滑な関係を築きながらそれができれば一番いいが、お互いの歩み寄りが無理なようであれば、多少ギスギスするのも覚悟して、距離を保つこと。それが、最善策だと思う。
このような問題にぶつかった時感じるのは、「オタクというのは、いつからオタクになるのだろうか?」という疑問だ。生まれつきなのか、育った環境によるのか。ただ、私自身振り返ってみても、幼い頃から、何かどうでもいいことが気になって仕方のない性格ではあった。
テレビに出てきた怪獣の名前を全部覚えないと気が済まなかったり、学校でみんなが持っているのとは違うものを欲しがったり。それによって、周囲から偏見を持たれてしまったり、心無い言葉を言われたこともあった。でも、そんなことより、自分の中で、その「なぜだかわからないこだわりの心」と折り合いをつけることが、一番苦しかった気もする。自分の中のオタク性と向き合い、「オタクとはそういうものだ」と、自分を納得させられるようになったのは、だいぶ大人になってからだ。
残念ながら、差別や偏見は無くならない。それは、人間の持っている性とも言えるから。でも、もしオタクだからといってつらい思いや悲しい思いをした時は、それと同じくらいの強い繋がりを得ることができると信じてほしい。
事実、オタク同士の会話は楽しいものだ。自分たちの詳しいことだけで話が進むので、まるで周りには通じない共通言語で話しているような気持ちになる。ネットのやりとりとは違う、リアルタイムの言葉のキャッチボールができるのである。
この「やっと言葉が通じる人と出会えた気持ち」は、オタクでない人にはあまり理解されないかもしれない。言い換えれば、そんな時に感じられる楽しさは、オタクだけに与えられた特権なのだ。
私は、「オタクであるがゆえの苦しみ」と「オタクであることの幸福」の総量を比べてみれば、結局、普通の人の平均値ぐらいにはなるのではないかと思っている。
多分、オタクというのは“振り幅が大きい”生き方なのだ。つらいことも多い分、喜びも大きい。どちらがいいということではない。オタクではない人たちが、周りの人と同じような穏やかで平均的な幸せの中にいることも、それはそれで素敵なことである。
どうして自分はオタクなんだろう? どうして他の人と同じにできないんだろう? そんな迷いを乗り越えてなお、オタクとして生きている人は、知らず知らずのうちにそれなりの覚悟を決めている。
そんな事情を踏まえた上で、単にオタクのこだわりを、笑ったり揶揄したりするだけではなく、そのつらさや悲しみにも寄り添って作られている。それこそが、このドラマが支持される一番の要因ではないかと思う。
人と違ったっていい、好きなことは「好き」って言っていい。誰も見ていないかもしれないけど、わかってくれる人はきっといる。
その証拠に、こんな素敵な作品が背中を押してくれるのだ。世の中そんなに悪いものではない。
だから、オタクのみんな、頑張って生きていこうな!
(文=プレヤード)
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