大震災直後の朝鮮人虐殺事件を描いた実録映画!! 法廷で愛を叫んだ恋人たち『金子文子と朴烈』
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1923(大正12)年9月1日、死者・行方不明者10万5,000人という甚大な被害を生じた関東大震災が起きた。さらに震災の混乱に乗じて、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ、火を放っている」というデマが流され、自警団による朝鮮人虐殺事件が各地で起きている。この事件で亡くなった朝鮮人は数千人に及ぶともいわれ、朝鮮人に間違えられて殺された中国人や日本人の聾唖者もいる。日本近代史の暗部というべきこの事件に、真っ正面から向き合ったのが実録映画『金子文子と朴烈』だ。「大逆罪」に問われた在日朝鮮人の朴烈(パク・ヨル)とその恋人だった金子文子が社会の波に翻弄されながらも、純愛を貫く姿を描いている。
獄中手記『何が私をこうさせたか』や瀬戸内晴美の小説『余白の春』などで知られる金子文子は、壮絶さを極めた23歳の生涯を送った。神奈川県横浜市に生まれた文子は、警察官だった父親が出生届けを出さず、戸籍のないまま少女時代を過ごした。9歳のときに日本に統治されていた朝鮮で暮らす父方の親戚に引き取られるも、女中代わりに扱き使われる過酷な日々だった。自殺を考えていた文子は、3.1独立運動で盛り上がる朝鮮人たちの姿に共感を抱くことになる。16歳のときに帰国した文子は、やがて有楽町のおでん屋で働き、その頃に出会ったのが詩人であり、アナーキストの朴烈だった。朴が書いた一編の詩「犬ころ」に惹かれた文子は、朴と一緒に暮らし始め、共に「不逞社」を結成。国籍や性別にとらわれることなく、横暴な権力者たちに抵抗する同志となることを誓い合う。
朴と文子が「不逞社」を立ち上げたのが1923年4月、その年9月に関東大震災が発生。朝鮮人大虐殺を招いた内務大臣・水野錬太郎は国際的世論をかわすために、テロ行為を画策した不穏分子を仕立てることを思いつく。そして、そのスケープゴートに選ばれたのが「不逞社」を名乗る朴と文子だった。水野がでっち上げた「大逆罪」をあえて認めることで、朴と文子は法廷に立ち、帝国主義へと突き進む日本の権力者たちとの命懸けの闘いに挑むことになる。
本作を企画したのは、『王の男』(06)や『ソウォン/願い』(13)など実在の人物や事件を題材にした重厚なドラマを撮り続けている韓国のイ・ジュンイク監督。韓国人視点による“反日映画”と思われがちな本作だが、なぜ大震災直後に朝鮮人虐殺や思想家たちの弾圧が起きたのかという社会背景をしっかりと描いた作品となっている。朴と文子を救おうと尽力する日本の司法関係者たちも登場させるなど、日本=悪の帝国として扇情的に描くことなく、きちんと史実に基づいている。日本の映画監督たちが手を出せなかった歴史の暗部に、意欲的に斬り込んだ作品だといえるだろう。
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