ケンドーコバヤシは「悔しい」と言った……テレビのコンプライアンスと『マツコ&有吉』
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■マツコ・デラックス「今、100人中2人に向けたことをやっている人多いよね」
コンプライアンスがうんぬんというような状況下のテレビを、この10年くらい席巻しているのがマツコ・デラックスと有吉弘行だ。そんな2人の番組、『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)の6日の放送は、自信家と謙遜家はどちらのほうが信用できるかという問いかけから始まった。
この問いそれ自体に対する2人の回答は、マツコの次の言葉に尽きる。
「そんなに自信満々で来られても、そんなに謙遜されすぎても、どっちも信用できないわよね。要はバランスじゃない?」
トークはそこから、最近は謙遜が強い人が多い、という話題に展開する。ネット社会では自信家よりは謙遜家のほうが叩かれる率が低いという理由で、謙遜が強すぎる人がいるのではないか。たとえば有吉いわく、番組収録中にお茶を飲むことひとつとっても、「こんな僕が本番中にすいません、お茶飲むの生意気なんですけど、どうしても喉渇いたんで飲ませてください」と言ってしまうような、過剰にへりくだる人がいる。そんな謙遜家を有吉が一喝する。
「別にここでお茶飲むのいいじゃん。100人いて2人ぐらいがさ、『本番中にお茶飲んでんじゃねぇよ』って言うのを気にして謙遜入っちゃうヤツがいるのよ。98人はなんとも思ってないのに」
この有吉の意見を受けて、マツコも言う。
「今、100人中2人に向けたことをやっている人多いよね。だから、どんどんどんどんつまらなくなっていっちゃうのよね」
マツコと有吉いわく、100人中2人の声を必要以上に大きく受け止めて過度に謙遜してしまう人には、残り98人の声があまり入ってこない。98人はなんとも思っていなかったり、逆に応援していたりするかもしれないのに。98人の声なき声よりも2人の大きな声が目立ちやすいネットが、過度な謙遜家を増やしている面もあるのだろう。だから、あまりエゴサーチとかするものじゃない。そんな話で、この話題は終わった。
で、この98人と2人の比喩で考えてみたいのだけれど、マツコや有吉自身がブレイクあるいは再ブレイクしたのは、100人中2人の代弁者としての側面が大きかったはずだ。有吉は一発屋としてしばらく苦汁をなめた経歴があるという意味で、マツコはゲイの中でもさらに少数派の女装家という意味で、マイノリティ性を強く帯びた存在である。世間の風潮に対して物申すというようなスタンスをとることも多い。両人ともに、一般的には“毒舌”というカテゴリに入れられている。
つまり、「世間とズレを感じて生きづらい100人中2人に属する私の思いを代弁してくれる」存在として、マツコと有吉は人気になったのではなかったか。もちろん、どちらもそういう期待に安易に乗ることがなく、今では“毒舌”であることを自ら否定することも多いのだけれど、世間の評価としてはいまだ“毒舌”のカテゴリに収まっているはずだ。
ただ、本当に100人中2人の代弁者であるだけでは、テレビでブレイクするはずもない。大衆を相手にするテレビには、98人の側に立とうとする慣性が働いている。だから実際には、マツコと有吉の言動に「100人中2人に属する私の思いを代弁してくれる」と感じた者が、98人いたということである。希少であることを求める凡庸な欲望が、マツコと有吉を押し上げたというか。
テレビは最近コンプライアンスが厳しくなっている、みたいなことを聞くようになって久しい。それはつまり、100人中2人の声に反応しなければならない場面が増えてきているともいえる。そんな中にあって、大衆つまり98人の側に傾きがちなテレビには、絶妙なバランスが求められているのだろう。100人中2人でありたい98人の代弁者としてのマツコと有吉は、そんなバランスの均衡点に立っているように思う。
(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)
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