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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 「CD至上主義」を貫いたZARD
平成J-POPプレイバック!

メディア露出もライブ活動も一切なし! 「CD至上主義」を貫いたZARDが今でも愛されるワケ

 さて、90年代の前半はガールポップと呼ばれたジャンルが人気を博した時期でもあった。谷村有美や久宝留理子、永井真理子に森高千里……。それまでのシンガー・ソングライターとも、またアイドルとも違う、まさにJ-POPの時代にふさわしい、新しいタイプの女性アーティストが大挙して現れた頃だ。

 しかし、ZARDはそのシーンとも完全に距離を置き、独自の道を歩き続けた。なにせメディア露出もライヴ活動もせず、その世界はひたすらスタジオでクリエイトされるのみ。これだけ孤高のままメジャー・シーンを突き進んだアーティストも、そうはいない。

 そして今聴いても思うのだが、ZARDはとにかくクオリティの高い作品群を残している。ZARDの代名詞といえば、やはり先ほどの「負けないで」になる。1993年にリリースされたこの6枚目のシングル曲は、ZARDにおける大きな出世作でもある。だが、これ以外にも名曲、秀作は数多い。

 僕個人の感覚では、8枚目のシングル「揺れる想い」のインパクトのほうが強かった。坂井の清涼感あふれるヴォーカルが映えるポップチューンだ。この頃くらいまでは特にそうなのだが、ZARDの出発点はバンド編成で、それもブリティッシュ・ロックをベースにしたサウンドが主体だった(「負けないで」のアレンジはダリル・ホールの「ドリームタイム」を想起するが)。これが徐々に坂井のひとりユニットのように変化していったわけだが、ともかくその音と、彼女が唄うポップ・メロディとが見事に融合していた。

 もっともビーイング制作なので、ZARDの音も優秀なスタジオ・ミュージシャンたちが集って奏でられたものだ。それだけ練り上げられたサウンドで、それがよくできすぎている……完結しすぎているせいなのか、ZARDが音楽好きの知人関係で話題になった記憶がない。

 当時、ロック好きの友人が、たまたま僕が書いた記事を見たらしく、「青木くん、ZARDなんかの原稿書いてるの?」と言ってきたことがあった。まあ、確かにJ-POPのド真ん中を行ってるメジャー・アーティストで、しかもビーイング所属というのは、当時は、特にロック界隈ではそんなにいいイメージはなかった(まあB’zが昔も今も別格なのはさておいてだ)。彼が、ZARDの良さがピンとこなかったのも理解できる。完成度が高くて面白みがない、というところだと思う。

 ただ、ZARDはビーイングの中ではちょっと文科系寄りで、坂井の歌声や詞も内省的なところがあったりして、僕はそこに惹かれていた。「負けないで」は人生の応援歌だなんて言われたりするが、ZARDにはもっと繊細な心模様を唄っていたり、主人公がなかなか踏み出せない心境を吐露する歌もあったりして、その微細な描写も優れている。

 こうした楽曲の世界は、作を追うごとに研ぎ澄まされていった。「もう少し あと少し…」「きっと忘れない」「この愛に泳ぎつかれても」「こんなにそばに居るのに」「あなたを感じていたい」「愛が見えない」「サヨナラは今もこの胸に居ます」「マイ フレンド」「Don’t you see!」「永遠」……。音の傾向もアメリカン・ポップスやソウルなど、多彩に拡大していった。自分としては、そんなに有名な曲でもないけど「風が通り抜ける街へ」の、その名のとおり、風通しのいいポップ・センスが特に好みだった。

 こうした楽曲に加え、坂井の歌声と美貌も相まって……そう、女子フェロモン満載の歌世界によって、ZARDはヒットを出し続けた。先ほど繊細な心模様と書いたが、ZARDの歌には内面に強さを抱えた女性の姿が見える瞬間も多く、それもまた坂井の凛とした声質に合っていた。思えば90年代頃までは、映画でもマンガでもアニメでも小説でも、やや強気な女性像のほうがウケる傾向が強かった。もっとも、これもステロタイプ的な女性観ではあるのだが……。今ZARDを聴き返すと、当時の坂井泉水に、そんな時代背景までが重なって見える。

 こうしてZARDはメディアや人前に出ないスタイルのまま、活動を続けていった。99年に一度だけライヴを行っているが、それは本当に例外的なものだった。

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